ハナミズキ(学名:Cornus florida)は、花水木としても知られる落葉高木で、アメリカヤマボウシという別名も持ちます。この木は北アメリカ原産で、特にアメリカ合衆国東部に広く分布しています。日本では、返礼の木とも呼ばれ、日米友好の象徴とされています。
ハナミズキは、春に美しい花を咲かせることで知られており、花は通常白またはピンクで、4つの大きな花弁のように見えるが、実際には苞(ほう)と呼ばれる特殊な葉の一種です。花の中心部には、小さな黄色い花が密集して咲いています。花が散った後、秋には赤い実が成り、鳥たちにとって魅力的な食物源となります。
Dogwood Flower
日本でも代表的な花
桜の花が散った頃にハナミズキが咲き始めることから、日本では春の風物詩として親しまれています。
桜とは異なる魅力を持つハナミズキの花は、独特の美しさがあり、白やピンクの花を楽しむことができます。
公園や街路樹として植えられているハナミズキは、桜のシーズンが終わった後も、春の美しい景色を継続させる役割を果たしています。
桜とハナミズキは、日本の春を彩る代表的な美しい花木として、多くの人々に愛されています。
名前の由来
ハナミズキはミズキ科に属する植物で、その名前の由来は花(ハナ)と水木(ミズキ)から来ています。ミズキの名前は、「水の木」を意味し、春先に新芽を出す頃に地中から大量の水分を吸い上げることに由来しています。
ミズキ科の他の植物には、ヤマボウシ(学名:Cornus kousa)やシャリンバイ(学名:Cornus officinalis)などがありますが、ハナミズキはその中でも特に目立つ大きな花を持っており、美しい白やピンクの花を咲かせ、その特徴的な姿から観賞用の樹木として人気があります。
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英名は犬の病気を治療したことから「Dogwood(ドッグウッド)」
ハナミズキの英名であるドッグウッド(dogwood)やフラワリング・ドッグウッド(flowering dogwood)は、いくつかの説がありますが、そのうちの1つは、木を煎じた液で犬の皮膚病を治療したことに由来しているとされています。ハナミズキには、解熱や強壮に優れた効果を持つキニーネが含まれており、これはマラリアの特効薬としても有名です。開拓時代のアメリカでは、このような薬効があるため、ハナミズキは薬剤としても重宝されました。
もう一つの説として、ドッグウッドの「dog」は、古英語で短剣を意味する「dagge」に由来すると言われています。ハナミズキの木材は固く、武器や工具などに利用されたため、この名前が付けられた可能性があります。
どちらの説が正しいかははっきりしていませんが、ハナミズキはその美しい花や薬効性、硬い材質といった特徴から、多くの文化で様々な用途に利用されてきたことがわかります。
花言葉に込められた日米の友好
ハナミズキの花言葉は、「永続」「返礼」「私の思いを受けて下さい」。
これらの花言葉は、ハナミズキが持つ歴史的背景や特徴を象徴しています。
「返礼」の花言葉は、1912年に日本とアメリカの友好を記念して、東京市長がアメリカに桜の苗木を寄贈した際のお返しとして、アメリカから日本にハナミズキが送られたことに由来しています。この贈り物は、両国間の友情を永続させる象徴として、ハナミズキの花言葉にも反映されています。
「永続」は、ハナミズキが長く美しく咲き続けることを表しており、「私の思いを受けて下さい」は、贈り物としてのハナミズキの花が、贈る人の思いや感謝の気持ちを伝えることを意味しています。
ハナミズキの花言葉は、その美しさや歴史的な背景を通じて、多くの人々に愛される理由の一つとなっています。
外国では怖い!?ハナミズキの花言葉と伝説
西洋におけるハナミズキの花言葉は、「永続性」や「耐久性」を意味し、キリスト伝説に関連すると言われている説が有名です。
この伝説によれば、ハナミズキの幹は木質が固く丈夫であったため、キリストの十字架の材料として選ばれました。しかし、この残酷な目的に使われたことで、ハナミズキは悩み苦しんだとされています。イエス・キリストは釘で磔にされる間、ハナミズキが嘆き悲しむ姿に憐れみを感じ、「これからは十字架に使われるほど大きく成長しないだろう」と言ったと言われています。それ以降、ハナミズキは大きく育たず、幹が細く曲がりくねった木になったとされています。
ただし、実際の旧約聖書には、キリストの磔に使用された木材が具体的にどの種類のものであったかは記載されていません。この伝説の出所は不明であり、正確な由来は分かっていませんが、ハナミズキの花言葉には、このようなキリスト教に関連する意味が含まれているとされています。
「ポトマックの桜」と「返礼のハナミズキ」
日本からアメリカへの桜の贈り物は広く知られており、ワシントンD.C.のポトマック川沿いにある桜並木は、日米親善の象徴として親しまれています。1912年に東京市長からアメリカに贈られたこの桜は、毎年春に美しい花を咲かせ、観光スポットとしても人気があります。
一方で、その返礼としてアメリカから日本にハナミズキが贈られたことは、あまり知られていません。
桜の苗木のお礼としてアメリカから日本に送られた花
1912年に当時の尾崎行雄東京市長が桜の苗木6040本をアメリカに贈ったのをきっかけに、1915年にタフト米大統領が日本にハナミズキを寄贈しました。贈られたハナミズキは全部で60本で、白花の苗木が40本、ピンク花の苗木が20本でした。
1915年4月に、植物学者スウィングル博士が米政府代表として来日し、白花の苗木40本を東京市に手渡しました。米政府の寄贈理由は、「日本国民は美術の国民であり、この木は日本国民が桜花を愛するように、広く米国国民に愛される白い花が四五月に開く樹であり、米国人は皆これを各室々に飾り愛観するものである」といった趣旨で記されていました(公文書原文より)。
その後、白花の苗木は日比谷公園や小石川植物園など16か所に分植されました。そのうち2本が東京都立園芸高等学校に植樹されました。さらに2年後の1917年には、ピンク花の苗木12本も贈られ、日比谷公園や都内の公園、植物園などに植えられました。
時代は太平洋戦争真っ只中……その絆は途切れかけた
太平洋戦争が始まると、日本とアメリカの関係は悪化しました。それまで日比谷公園などに植えられていたハナミズキの一部は、戦争の影響で「敵国の贈り物」として切り倒されたり、空襲などで枯れたりしてしまいました。
1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し終戦となりましたが、ハナミズキは戦争の影響で人々の記憶から遠ざかり、一時は忘れられてしまったかのようでした。
しかし、戦後復興が進む中で、ハナミズキは再び人々の心に根付き始めました。日本とアメリカの友好関係が回復するにつれ、ハナミズキは再び春の風物詩として親しまれるようになりました。
一本だけ現存する!「返礼のハナミズキ」
1990(平成2)年、全国的な調査をした結果、原本の多くが枯損や行方不明となり、生育が確認されたのは、都立園芸高等学校の白木2本だけでした。
しかし、そのうち1本が1996年の台風で倒れてしまい、現在日本国内に残っているのは都立園芸高等学校の白木1本だけとなりました。
千谷順一郎校長は、同校への植樹の経緯が初代校長の熊谷八十三技師が米国へ贈った病害虫の発生の無い桜の苗木作りに大きな功績を残したことが理由の一つと推測されると語っています。
この原木は現在も健在で、高さは約8メートルで、通常の街路樹として見かけるものの倍近くあります。高校では、この原木から次の世代を作出してあちこちに贈っており、現在日比谷公園にあるハナミズキも園芸高校の原木から作出されたものです。これによって、ハナミズキは日本で再び根付いていくことができました。この貴重な原木は、日米の友好関係や文化交流の象徴として今後も大切にされるでしょう。
【返礼の百年ハナミズキ苗を瑞ケ池公園に植樹しました】
— 伊丹市広報課 (@Itami_city_PR) March 22, 2019
日米友好の証で贈られた米国ワシントンポトマック河畔の桜。1915 年に米国から返礼されたハナミズキが現存する原木がある東京都立園芸高校が、永久保存しようと110本の苗を育て、本市にも寄贈。2本の苗木を本日、瑞ケ池公園に植樹しました。 pic.twitter.com/3U7TBgWsnS
暖かい日差しに誘われて、大倉山公園の花水木が咲き始めました。
— 公益財団法人大倉精神文化研究所 (@okura_institute) April 9, 2019
11月2日には、港北区制80周年記念イベントとして、107年前に東京からワシントンへ贈られたシドモア桜の返礼として米国から贈られたハナミズキの原木を、大倉山公園のシドモア桜(2017年に植樹)の隣に植樹します。 pic.twitter.com/QS4XXleJle
「100年前の桜のお礼に……」またハナミズキが日本に送られた!
100年前の桜へのお礼に贈ります――。2012年にアメリカ政府は、日本からワシントンへの桜の寄贈100周年を記念して、東海岸バージニア州産のハナミズキ計3,000本を東日本大震災の被災地と東京に寄贈することを決定しました。キャンベル国務次官補が講演でこの計画を発表しました。
キャンベル氏は、日米の絆を育んできたハナミズキで「友情への感謝の気持ちを伝えたい」と述べました。贈る予定の品種は、日本原産で近縁種のヤマボウシを交配し、数世代にわたって品種改良したものだということです。また、贈られるハナミズキの数である3,000本は、日本がアメリカに贈った桜の木の数と同じであり、その象徴性を示しています。
「ハナミズキ100年祭」
ケネディ氏は、「桜とハナミズキは、100年前から日米友好のシンボルとして続いています。アメリカとしては、東日本大震災後、東北地方を中心にハナミズキの苗木3,000本を送り、震災復興の一環として被災地に花がいっぱい咲くことを願って活動をしています。本日はその活動のメイン植樹でもあります。ハナミズキと日米の友好がこれからもまた100年続くことを願い、東日本が美しく復興されることを祈って植樹しました」と述べていました。
2015/4/10ケネディー元米国駐日大使をお迎えして行った100年ハナミズキ記念式典の際、大使がお手植えした記念ハナミズキの現況です。樹高2mを越え葉も青々と生長中!A gift from the people of the USA to the people of Japan pic.twitter.com/BeZhGLv5Pr
— 東京都立園芸高等学校 全日制課程 (@tokyoengeihszen) June 5, 2017
日米友好ハナミズキ100周年記念式典でケネディー元駐日米国大使を招いて植樹された記念樹「ハナミズキ‘スターライト’」の現在です(20180508)。花直径約15cm、クリーム色の美しさです。
— 東京都立園芸高等学校 全日制課程 (@tokyoengeihszen) May 9, 2018
バラ園のバラも満開です(0507現在)。ただし、長雨でだいぶ見所も過ぎてきましたが・・・ pic.twitter.com/1AwJovRtKQ
全米桜祭りで記念切手を共同発行!「ハナミズキ寄贈100周年記念切手」
ワシントンDCで開催された全米桜祭り(Cherry Blossom Festival)において、米国郵政公社と日本郵便は、友好のしるしフォーエバー・スタンプ(Gifts of Friendship Forever stamps)を共同で発行しました。
この記念切手は、美しいハナミズキと桜の花のイメージを題材にしており、1915年に米国から日本へハナミズキが寄贈されてから100周年を迎えることを祝い、両国間の変わらぬ関係を称えるものとなっています。
ケネディ大使は記念式典で、「日米の最高の園芸技術の証しを今日、この目で見たことを嬉しく思う」と話しました。その後、高橋亨日本郵便社長から「米国からのハナミズキ寄贈100周年」記念切手が入った額を受け取り、満面の笑顔を見せました。この共同発行により、日米両国の友好関係がさらに強化されることでしょう。また、記念切手は、両国の美しい花々とその歴史を広く伝えることができる素晴らしいアイテムとなっています。
日本郵便と米国郵政公社は「米国からのハナミズキ寄贈100周年」記念切手を4月10日に日米で同時発売します。 pic.twitter.com/9RafjJ9n6S
— USDAJapan (@USDAJapan) February 24, 2015
和菓子「シドモア桜」と「ハナミズキの詩」
神奈川県菓子工業組合金沢支部は、日米桜交流100周年を記念して、エリザ・シドモア女史にちなんだ「シドモア桜」と、1915年にアメリカから日本に贈られたハナミズキをモチーフにした「ハナミズキの詩」という2種類の和菓子を考案・製作しました。これらの和菓子は、金沢区で和菓子店を営む大粒来富雄さん(68)が製作しました。
大粒来さんは、印刷会社社長の秋山桂子さんと同区の名物・土産品の開発プロジェクトを通じて知り合い、秋山さんの依頼によって和菓子の製作に取り組みました。この2種類の和菓子は、日米桜交流100周年を祝うとともに、その歴史的な背景を伝える独創的なアイデアで、訪れる観光客や地元の人々に喜ばれることでしょう。また、この和菓子を通じて、日米友好関係の歴史とエリザ・シドモア女史の功績がより広く伝わることが期待されます。
日米友好の桜を記念して作られた和菓子「シドモア桜」と「ハナミズキの詩」。エレガントで心落ちつくおいしさ。お抹茶と一緒に頂きました。写真は、「ハナミズキの詩」。 pic.twitter.com/inZgckD5
— USDAJapan (@USDAJapan) April 5, 2012
女性歌手“一青窈”の名曲「ハナミズキ」
平成時代で最も歌われた楽曲である一青窈の「ハナミズキ」は、2004年(平成16年)にリリースされ、徳永英明やMay J.など多くのアーティストにカバーされています。この楽曲は、世代や性別を問わず親しまれているため、多くの人々にとって思い出深い曲となっています。
2015年5月15日(金)、一青窈は都立園芸高校に招かれ、ハナミズキ百年祭の一環として開催された式典に参加しました。樹齢100年のハナミズキ原木と対面した一青窈は、「園芸高校と園芸高校を好きな人が、百年続きますように」という掛け声で「ハナミズキ」を歌い始めました。次第に、約500人もの式典参加者が大合唱に参加し、歌声が緑豊かな森を包み込みました。
歌唱後の式典では、校内のバラ園で栽培されている希少な美しいバラや記念の品などが贈られ、一青窈はとてもあたたかいもてなしを受けました。さらに、日本にまだ2本しかないという新種のハナミズキ「スターライト」の苗木も植樹しました。この出来事は、一青窈の「ハナミズキ」が日米友好やハナミズキの歴史と繋がり、さらに多くの人々に愛される楽曲であることを示しています。