「それなら日本に融資しよう」“日露戦争”で日本が勝てた理由【ロスチャイルド陰謀論】
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Russo-Japanese War
日露戦争開戦
日本に迫りくるロシアの危機
明治政府は、ロシアの南下に強い脅威を抱き、北海道に屯田兵を配置するとともに、朝鮮半島への勢力拡大をはかるが、その過程で宗主国の清朝と対立していき、ついには日清戦争に発展する。戦争に大勝して初めての植民地を獲得するしたものの、ロシアが干渉に乗り出し、遼東半島の返還を余儀なくされる。
日清・日露戦争を知る なぜ戦争が起こり、国内や世界にどのような影響を与えたのか/大学公開講座のセカンドアカデミー
ロシアは19世紀の末、不凍港を求めて、東アジアに目を向け始めた。ロシアの東方政策として、1891年には大陸横断鉄道の建設に取りかかり、太平洋岸にあるウラジオストックに至るシベリア鉄道の建設を始めた。
知っておきたい日本の歴史=徳力啓三=(16)/ブラジル知るならニッケイ新聞WEB.2020
1895年には西部シベリア鉄道が完成、1900年にはバイカル鉄道が完成し、1901年には満州のハルピンまで到達した。
知っておきたい日本の歴史=徳力啓三=(16)/ブラジル知るならニッケイ新聞WEB.2020
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【戦争プロパガンダ⑤】気づいた時には終わっていた……。サイバー大国ロシアの緻密なハイブリッド戦争『2014年 クリミア併合』
日露戦争を引き起こすきっかけの1つ「義和団事件」
1898年、山東省から起きた「義和団」を名乗る集団が、ドイツの教会や中国人キリスト教信者らを襲撃し、その後天津や北京に大集団となって押し寄せ、「扶清滅洋」(ふしんめつよう。弱体化した清政府を助け、欧米・日本など外国勢力を排斥する)を掲げて外国勢力を攻撃した。
義和団事件・北清事変
明治34(1901)年9月北清事変最終議定書が結ばれたが、これにより、外国軍の北京公使館区域への駐兵が認められるなどした。また事変の最中、東清鉄道保護の名目で満洲主要部を占領したロシア軍が事変終結後も撤兵しなかったことは、日露戦争の遠因となった。
2-24 北清事変 | 史料にみる日本の近代/国立国会図書館
イギリスが日本の力を認めた!「日英同盟」
明治33(1900)年、義和団事件が北京・天津に波及し、清国政府も義和団に加担した。列国は鎮圧に動き、日本はイギリスの要請に応じ大軍を派遣した。
2-24 北清事変 | 史料にみる日本の近代/国立国会図書館
イギリスが日本と同盟を結ぶ事を決心したのは、義和団事件での日本陸海軍の活躍である。北京に篭城した列国兵士の救出において、日本軍の勇敢さや軍紀に厳正な事が、横暴を繰り返したロシア軍と対比報道され、当時まだ黄渦論が盛んに流布されていたイギリスの世論を、親日的な空気に変えてしまったのである。
日独戦争と俘虜郵便の時代 3/株式会社タカハシスタンプ商会
イギリスは明治新政府を世界で最初に承認。その後、両国は西洋列強として初めての対等条約を締結し、関係を深める。そして1902年(明治35年)、イギリスは東洋の新興国・日本と軍事同盟の「日英同盟」を結び、先端軍事技術を惜しみなく提供した。南下するロシアに対して、日英両国の利害が一致したからだ。
【書評】急速に進む両国の緊密化:岡部伸著『新・日英同盟 100年後の武士道と騎士道』/斉藤 勝久.nippon.com.2020
明治35年(1902)、日英同盟協約が調印されました。清韓両国における日英両国の利益の尊重とその防衛についての相互承認、中立/参戦義務などを定めています。画像は、「枢密院文書」中の日英同盟協約の写です pic.twitter.com/jEOL1ZmQJQ
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) January 30, 2016
ロシア軍の脅威
義和団事件後、各国軍が撤兵した後もロシア軍のみは中国東北部に留まり、この地域を事実上占領しました。そのため、朝鮮半島から中国東北部への勢力拡大をねらう日本とのあいだに緊張が高まりました。
義和団事件から日露戦争へ/世界史講義録
ついにロシアに宣戦布告
日本はその後も満州から撤兵するようロシアと交渉を続けたが、その限界を感じた日本は、周到な作戦準備の上で、ついに 1904 年 2 月にロシアに宣戦を布告した。
日露戦争/季武嘉也.第4章 近代国家の形成と国民文化の発展.NHK(p.64)
その主な舞台は、朝鮮半島と、満州(中国東北部)の南部でした。戦争が長引くにつれ、旅順港閉塞作戦や奉天会戦、日本海海戦などの戦闘で勝利をおさめていた日本の国力は次第に低下していきました。一方のロシアでも革命(ロシア第一革命)が起こり、国内は混乱状態に陥りました。
ポーツマス講和会議 ~小村寿太郎と交渉の「舞台裏」~/アジア歴史資料センター
【ウクライナ危機(30)】2022年2月24日……欧州にとって暗黒の日。プーチンがウクライナに宣戦布告『特別軍事作戦』
Rothschild
日本は負けるはずだった!その裏側には……。
開戦前、日本はロシアに対し、朝鮮を二分しようという妥協案を示し、戦争回避に努めます。しかしロシアは応じません。なぜなら、こんな小さな島国に負けるわけがない、戦争ですべて奪えると確信していたからです。
日露戦争の勝利は、日本と世界をどう変えたか/WEB歴史街道.2019
日露戦争は、 当時の大国、 ロシアに勝てるはずのない戦いだったが、 その戦費の大半75%をロスチャイルド一族が融資してくれて日本は勝利することが出来たと言われている。
シャーロット・ド・ロスチャイルド「ソプラノ・コンサート」/山本 徳行.広島商船高専校友会会.全船協
そもそもロシアと戦うための“お金がない”
当時の日銀副総裁だった高橋是清は、日本の国債の買い手を求めて絶望的な気持ちで欧米を駆け巡っていたが、当時世界最強のロシア帝国に向かって東洋の小国日本が勝てるわけがなく、アメリカでもロンドンでも誰も日本の国債を買う人などいなかったのです。
日本が今あるのはリーマンのお陰!?/日野上総合事務所
(前略)あてにしていた世界一の大金持ちロスチャイルドにも断られてしまい、全権を委任された高橋は困り果ててしまいました。
菊川征司. 異説で解き明かす近現代世界史 〈経済〉から見えてくる歴史教科書のウソ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1190-1192). Kindle 版.
ロスチャイルド家代理人「ジェイコブ・シフ」
この日本国債を買ってくれる人が現われました。ジェイコブ・シフというユダヤ人で、有名な財閥ロスチャイルド家の代理人です。
日露戦争の勝利は、日本と世界をどう変えたか/WEB歴史街道.2019
(前略)ウォール街の銀行家ジェイコブ・シフの金はロス チャイルド一族から提供されていた。
ロスチャイルドの密謀: 世界最大のタブー (p.222)/ジョンコールマン.太田龍.成甲書房.2007
シフは、ロスチャイルドの本家・フランクフルトで、1847年に生を受けた。シフ一族は、金融業を営んでいた。
~シフ家;ジェイコブ・ヘンリー・シフ~/怒満坊.三分で!裏まで透ける『世界の資料集』.1019
祖先は、ロスチャイルド家の初代マイヤー・アムシェルと、家を二つに区切って住んでいた。一方に、赤い楯をかかげ、もう一方の扉に、“舟”の絵を掲げ…Schiffは、ドイツ語で、舟である。
~シフ家;ジェイコブ・ヘンリー・シフ~/怒満坊.三分で!裏まで透ける『世界の資料集』.1019
#OTD 1847: #JacobSchiff born, the leader & philanthropist who supported organizations dedicated to helping Jewish immigrants. pic.twitter.com/HzeJCWKgXI
— National Museum of American Jewish History (@NMAJH) January 10, 2017
クーン・ローブ商会
ユダヤ系投資銀行「クーン・ローブ商会」を率いる彼は、当時の2億ドル(現在の1兆円)の国債を引き受け、高橋是清は狂喜し、日本政府も大いに喜んだのでした。
日本が今あるのはリーマンのお陰!?/日野上総合事務所
日本は、シフの奔走によってアメリカやヨーロッパから約2億ドルの資金調達に成功し、船や武器、また必要な装備を調えることができた。
日露戦争にヤコブ・シフ(その陰にロスチャイルド)有り/るいネット.2007
日本から感謝
高橋はシフの決断への感謝の気持ちをシフの没後、英文追悼文に記しているが、「ロンドンとニューヨークで発行できることになったことは、英米両国民の日本の大義に対する精神的支援を具体的な形に表したものである」と述べるとともに、シフを「正義の士」と称えている。
ジェイコブ・H・シフと日露戦争/二村 宮國(pp.8-9)
日露戦争の後、彼は日本に招聘され、明治天皇から旭日章を授与されました。シフはその勲章を授与された最初の外国人です。今日でも尚、シフの功績に感謝する日本人に出会うことがあります。
戦争中にユダヤ人を助けた日本人/べン・アミー・シロニー(倫理研究所客員教授)
日本の勝利!「ポーツマス条約」
ロシア皇帝ニコライ2世がアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋(あっせん)を受け入れ、日露講和のポーツマス条約が調印されたのは、日本海海戦からほぼ3カ月後の9月5日である。
【昭和天皇の87年】アジアを奮い立たせた勝利 「太陽の国が、明るい光を与えた」/産経ニュース.2020
アメリカが仲介を引き受けた
中国への進出をはかろうとするアメリカ合衆国は、日本とロシアのどちらかが決定的な勝利をおさめることを望まなかったため、日露戦争の講和を仲だちしました。
歴史事象 ポーツマス条約/毛呂山町
日露戦争から繋がったロシアとの絆 ── 1枚のコインに刻まれた愛の物語
買ったのに戦争賠償金はなし?日本は一気に財政難に……
結局、約1カ月がかりの交渉で日本は、領土として、北緯50度以南の樺太と付属の諸島を手に入れました。これは、ポーツマス講和会議が始まる直前の7月、ルーズベルト大統領から助言を受け、日本が樺太に侵攻し、全島占領したことも影響しました。また、沿海州とカムチャッカの漁業権や、発端になった朝鮮半島への日本の優越権などを得ることが出来ましたが、ロシアから戦争賠償金を得ることは出来ませんでした。
バルチック艦隊破り日本は一等国、南樺太を日本領とした「ポーツマス条約」/Yahoo!ニュース.2016
日本は逼迫した財政にあえぎ、賠償金の獲得に大きな望みをかけていたにも関わらず、ヴィッテ首相の交渉の粘り勝ちで賠償金放棄を余儀なくさせられた。逆に講和が成立せず、戦争が続行した場合、日本の国家財政にさらなる大きな打撃を蒙りかねなかったからだった。
敗戦と外交勝利 ポーツマス条約と日露戦争の終結/Sputnik 日本.2019
これが次の世界大戦に繋がっていく
当時の国家予算の7倍にあたる約20億円を、戦費として1年半で使い切った日本。疲弊している国民にとって、ロシアから1円も賠償金をとれないのは、かなりの打撃でした。
5分でわかるポーツマス条約!なぜ日本は賠償金をとらなかった?内容や評価も/KURU77.ホンシェルジュ.2018
日本は日露戦争後、莫大な借金が残った。財政破綻を避けるために戦争を仕掛けるしか方策がなかった。
ユダヤ人から金を借りて遂行された日露戦争、日本が借金を返済し終わったのは82年後の昭和61年/渡辺卓郎.るいネット.2018
「ユダヤ人差別」「中央銀行」ロシア国内のユダヤ人の思惑
帝政ロシアは欧州でただ一国、中央銀行を認めておらず、しかも歴代皇帝はロシア正教に改宗しようとしないユダヤ人に対して激しい迫害を加えていたので、ロスチャイルドとシフはロシアを非常に嫌っていました。しかし、ロスチャイルドはカスピ海沿岸にあるバクー油田の利権にかかわっていたので、正面切ってロシアを敵に回すことができませんでした。そこで表向きには断って、裏でシフに口添えしました。
菊川征司. 異説で解き明かす近現代世界史 〈経済〉から見えてくる歴史教科書のウソ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1199-1203). Kindle 版.
ユダヤ人にとってロシアは敵で、だからユダヤ系財閥が日本をバックアップしたのです。ロスチャイルド財閥はまた、イギリス政府のスポンサーでもありました。
日露戦争の勝利は、日本と世界をどう変えたか/WEB歴史街道.2019
ヤコブ・シフはのちに、「私はロシアにおけるユダヤ人虐殺に深く憤っていた。ロシア帝国に対して立ち上がった日本が、ロシアを罰する“神の杖”であるに違いないと考えた。」と言っています。
日本が今あるのはリーマンのお陰!? /大阪市平野区の税理士事務所【日野上総合事務所】
帝政ロシア崩壊のはじまりのはじまり
国際社会は、日露戦争を「ロシア帝国から迫害されていたユダヤ系共産主義者が、ロシア皇帝を倒し、革命を起こすための戦いの布石」と考えています。ロシア革命は日露戦争の13年後、1917年に起こります。共産党独裁による、社会主義国家・ソビエト連邦を生むことになる革命でした。
「欧米金融勢力が共産革命に手を貸した」国際社会から見た日露戦争/au Webポータル
【陰謀論Qアノン】「闇の政府“ディープステート”に操られている!!」はじまりの陰謀論“ピザゲート”(1)
戦争ビジネス「両軍に投資」
パリ・ロスチャイルドは既にロシアに大量の投資をしており、ロンドン・米国ロスチャイルドは日本に投資する。戦争の両方に投資するのは彼らの常套手段です。アメリカ独立戦争でも同じことをしています。簡単に言えば二つの国や勢力に戦争をさせて両方に大金を貸付け、買った方からは金利と成功報酬、負けた方からは担保である領土を取るのが彼らのビジネスです。
ある公認会計士の戦史研究 第1部 日本海海戦/日露戦争(その7)/平和と安全のための情報メディア
ロンドンのロスチャイルド家は、表向きは、高橋是清を追い返し、裏ではシフの手を通じて、日本の公債を買いつけ、さらに、日露戦争で日本の優勢が明らかになると、「パンミュア・ゴードン商会」を通じて、日本公債を買い集めた。それが、ロスチャイルド家だった。
~シフ家;ジェイコブ・ヘンリー・シフ~/怒満坊.三分で!裏まで透ける『世界の資料集』.1019
日露戦争で活躍した戦艦はロスチャイルド系企業が製造
1890年代の世界最大の軍事産業の企業は、イギリスのロスチャイルド家が所有するヴィッカース社であった。
ザハロフ/奥の院通信
日本政府はこの戦争のためにロスチャイルド一族とその仲間の国際銀行家ジェイコブ・シフから莫大な戦費を借入しますが、その借りたお金で買ったのは、ロスチャイルド一族の兵器会社ヴィッカーズなどが製造した大型戦艦です。バルチック艦隊を破ったとされる戦艦三笠はそのヴィッカーズ社から購入しています。
終戦の日に思うこと/JIN’s QUEST
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戦局をコントロールし日本を有利に!
ヴィッカーズはロシア軍にも武器を売っていたけど、意図的に納入を遅らせた。
お金が欲しいなら脱・情報弱者!~戦争の裏に潜む闇②~/高寺徹公式ブログ
これが戦争ビジネス
さらに、日露戦争では意図的にロシアへの武器の納入を遅らせ、バルチック艦隊の石炭の積み込みを不自由にさせるなどの工作により日本を勝たせ、欧米支配に目障りなロシアの弱体化を図り、日本を戦争ビジネスに引き込んでいったのです。
終戦の日に思うこと/JIN’s QUEST
【戦争プロパガンダ①】人類の歴史は戦争の歴史……。全ては勝利のために!!切っても切れない『戦争とプロパガンダ』
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