「イギリスを支配しているの私だ」歴史の分岐点“ワーテルローの戦い”・・・それは金の戦争【ロスチャイルド陰謀論】

「イギリスを支配しているの私だ」歴史の分岐点“ワーテルローの戦い”・・・それは金の戦争【ロスチャイルド陰謀論】

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「我が国にも中央銀行が必要」アメリカに合衆国銀行が誕生【ロスチャイルド陰謀論】
“https://diggity.info/culture/conspiracy-rothschild-2/”
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英雄ナポレオンに挑む、たった1人の男がいた。世界を牛耳る金融帝国、ロスチャイルド家。そのルーツに迫る!第4回城山三郎経済小説大賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

Nathan Mayer Rothschild

【伝説】ネイサン・ロスチャイルドの「逆売り」

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イギリス軍 VS 皇帝 “ナポレオン”率いるフランス軍

(前略)19世紀はじめのヨーロッパでは、イギリスとナポレオン率いるフランスとの間に大きな戦争が起こっていました。

アメリカ合衆国発展の歴史 ② ~米英戦争とモンロー宣言~/世界史 by エンリケ航海王子.マナペディア

この時、イギリスは国債を発行することによって対ナポレオン戦争の軍資金を調達していました。

金融システムは迫害から生まれた(ロスチャイルド以降)/チャカポコ.note

(前略)仮にイギリスが敗北すれば、英国債の大暴落が予想される状態でした。そのため、当時から金融都市であったロンドンでは、多くの投資家がこの戦いの勝敗を、固唾をのんで見守っていました。

普通の人が「億単位」の資産を築いた…! その意外すぎる投資法/福田 猛.マネー現代.講談社
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ちなみに同時期アメリカはイギリスに宣戦布告
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ナポレオン・ボナパルトが欧州制覇を目指して対岸の英国と対峙している真っ最中の一八一二年六月、フランスが助けてくれた独立戦争の借りを返すような形で、米国が英国に宣戦布告しました。

菊川征司. 異説で解き明かす近現代世界史 〈経済〉から見えてくる歴史教科書のウソ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.775). Kindle 版.

歴史の分岐点「ワーテルロー戦い」

Belgium-6747 - Battle Scene

(前略)ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、1815年にウェリントン公率いるイギリス・オランダ軍、およびプロイセン軍とワーテルローで対決し、決着が世界史の行方を塗り替えたナポレオン最後の戦いの場です。

ナポレオン最後の戦いの地!ベルギーのワーテルロー古戦場跡/LINE トラベル by 旅行ガイド
“ロスチャイルド”にとってもここが正念場

勢力が弱まったとはいえ、ここでイギリス連合軍がナポレオンに負けることとなれば、ドーバー海峡を隔ててイギリス本島にも進行してくるかもしれないという重要な位置づけとなる戦いである。

第一章-8 ワーテルローの戦いで逆売りを仕掛けるネイサン・ロスチャイルド/アンティークコインで資産防衛

よって、この戦いはマネーの観点から言い換えると、ネイサンロスチャイルド対ナポレオンであったとも言われる。

第一章-8 ワーテルローの戦いで逆売りを仕掛けるネイサン・ロスチャイルド/アンティークコインで資産防衛
ネイサン・ロスチャイルド

(前略)ネイサン・メイアー・ロスチャイルドはイギリスに渡り、マンチェスターで金融、繊維貿易の業務を始めた。彼はしばらくしてロンドンへと移り、1811年にN・M・ロスチャイルド&サンズを立ち上げた。同社を立ち上げたことは、彼が国債市場に介入する理由となった。

N・M・ロスチャイルド&サンズ /Wikipedia

19世紀前半、ナポレオン戦争の最中、ロンドンのロスチャイルド銀行は、イギリス政府による同盟国へ転送する資金の調達を先導していた。独自のネットワークによって、スペインとポルトガルに駐留していたウェリントン公の軍隊に資金を送ることができた。

N・M・ロスチャイルド&サンズ – N・M・ロスチャイルド /Weblio辞書
Nathan Mayer Rothschild - founder of Rothschild and Sons
誰よりも早くフランスの負けを知る

誰もが戦いの行方を注目していたとき、ネイサンがはりめぐらした情報網がいち早くナポレオンの敗北を伝えた。それは戦勝国となったイギリスのウェリントン将軍の連絡よりもはるかに早かったという。

朝礼ネタ110番<歴史編> – スピードに即応できる準備を抜かりなく/WizBiz
なんと逆にイギリスの国債を売って売って売りまくった!

誰よりも早く、そして密かにイギリス勝利の確かな情報を手に入れていたネイサンは、イギリス国債を売りまくり、イギリス敗北を偽装する(後略)

金融システムは迫害から生まれた(ロスチャイルド以降)/チャカポコ.note
大暴落した国債を今度は買い漁った!

彼の売りで、「ワーテルローでのイギリスの負けをネイサンは知っている」と言う噂が飛び、公債は大暴落。ぎりぎりの底値まで落ち込んだころを見計らい、今度は公債を二束三文で大量買い。その後、勝利の知らせが伝わり、公債は一転して大暴騰。

ロスチャイルド家と葡萄園/フランスワインの歴史

 伝説の銀行家、ネイサン・メイアー・ロスチャイルドがナポレオン戦争時代に言ったとされる格言はこうだ。「通りが血で染まっている時こそ買いを入れろ」。

露のウクライナ侵攻、投資家はどう動くべきか/ウォール・ストリート・ジャーナル日本版.2022

ネイサン・ロスチャイルドは 天文学的な利益を獲得

ネイサンは当時としては天文学的な数字であるおよそ100万ポンドの利益を獲得し、この日の儲けだけで財産が2500倍に増えたと言われている。

人の目を出し抜く市場の賢者たち/ジョンメリ.note

彼の大胆不敵な市場操作は「ネイサンの逆売り」として伝説化された。

秘して語ることなかれ/日本設備工業新聞社
この利益でイギリスの通貨発行権を獲得!
City of London

この巨額の利益をもって、N・M・ロスチャイルド&サンズはイングランド銀行の通貨発行権を獲得し、その後このイギリス中央銀行の支配者として君臨することになります。

メルマガバックナンバー シーズン1 資本主義経済のはじまり/世界のブロガー スタンレー・よっしー

各国の財務大臣たちは、ロスチャイルド家に取り込まれ、国債を発行する際にロスチャイルド商会に多額の手数料を支払ったり、資金が必要になればロスチャイルド商会に借金したようです。これでヨーロッパの金融をロスチャイルドが一手に手中に収めることになります。

なぜロスチャイルドは国際的な金融システムを構築できたのか?/金井 規雄.幻冬舎ゴールドオンライン.2016
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「英国を支配しているのは私だ」

「英国の王座にどんなやつがいても気にならない。英国の通貨供給を支配する者が大英帝国を支配する。英国の通貨供給を支配しているのは、私だ」

菊川征司. 異説で解き明かす近現代世界史 〈経済〉から見えてくる歴史教科書のウソ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.669). Kindle 版.
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本書では、18世紀以降に起こった重大金融事件の黒幕にスポットを当て、彼らの戦略目的や常套手段を分析比較しながら、彼らが将来中国に対して仕掛ける攻撃方法を予測し、中国の採るべき道を探る。(「BOOK」データベースより)

Napoleon’s defeat

「ナポレオンがいなくなった……。」世界のこれから

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“ワーテルローの戦いより”数年前の話「ナポレオンは連合軍に敗北」

1813年、ナポレオンとヨーロッパ諸国との間で ライプツィヒの戦い がおこりました。別名 諸国民戦争 とも呼ばれます。この戦いで、ナポレオンは プロイセン・ロシア・オーストリアの連合軍に敗北します。 

【高校世界史B】「ナポレオンの没落までの道 …/映像授業のTry IT
ナポレオンを「エルバ島」に追放
Hotel Hermitage – Isola d’Elba/YouTube

ナポレオンは、同盟国側によってエルバ島(ナポレオンが生まれたコルシカ島の東48kmの所にある島)に流されたが、その時同盟国側が示した条件は「ナポレオンはエルバ島に流され、年額補助200万フランを受け取る。彼は皇帝の称号を保持し、400人の近衛兵を保有する」というゆるやかな条件であった。

2 フランス革命とナポレオン/My Home Page

ナポレオンがエルバ島に流された後、フランスの新しい支配者としてルイ16世の弟、ルイ18世が選ばれました。この頃、フランス革命やナポレオンの影響を受けて、ヨーロッパ国内では独立を目指す動きが目立ち始めました。

フランス皇帝ナポレオン~フランス革命と英雄の生涯~金貨に宿る歴史/金のアヒル 買取専門店

ナポレオンのいない世界をどうするか「ウィーン会議」

ウィーン会議以前、ヨーロッパはナポレオンの遠征によって広い範囲が一時フランスの支配下にありました。ナポレオンが退位した後、彼によって変えられた国境や各国の政治体制をどうしていくのか、ナポレオン後のヨーロッパ秩序を話し合うために開かれたのがウィーン会議です。

ウィーン体制の流れについて/進研ゼミ高校講座 – ベネッセコーポレーション

しかし、参加各国の利害が対立し会議は混乱した。

ウィーン会議と百日天下/岐阜県まるごと学園
主役はロスチャイルドとロシア皇帝

フランスに2500フランの賠償を課したとしても、どこの国もあまりある巨大な戦争債務をかかえていたからであった。最大の債権者は、ロスチャイルド家であった。

2代目ロスチャイルド・ネイサン/左往来人生学院

19世紀初頭、フランスの皇帝ナポレオンが敗れた後、欧州秩序を回復させるために行われた1814年のウィーン会議において主役となったのはイギリスのユダヤ系資本家ネイサン・ロスチャイルドとロシアの皇帝アレクサンドル1世でした。

2020年社長年頭挨拶/株式会社中央コーポレーション
ロシア皇帝(アレクサンドル1世)は不審な死を遂げた

この時、ロシア皇帝アレクサンドル1世は、キリスト教国の団結による「神聖同盟」を提唱した。これは、ユダヤ教徒を敵視するものだったので、ロスチャイルド家らのユダヤ人国際金融資本家は嫌悪感を抱いた。

ユダヤ70~ロシア皇帝と巨大国際金融資本家の戦い/ほそかわ・かずひこの BLOG

 西欧諸国に次々に中央銀行を設立したロスチャイルド家は、ロシアにも中央銀行を設立することをアレクサンドル1世に提案をした。だが、皇帝はこの提案を受け入れなかった。その後、皇帝は1825年に不審死した。

ユダヤ70~ロシア皇帝と巨大国際金融資本家の戦い/ほそかわ・かずひこの BLOG
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ナポレオンが島から脱出!再び皇帝に復帰もすぐに別の島へ!

ロシア遠征の失敗で失脚したナポレオンが追放先のエルバ島を脱出したのは1815年だった。

余録:ロシア遠征の失敗で失脚したナポレオンが…/毎日新聞

(前略)フランス国内ではルイ18世が国王になったことに対する不満が高まっており、この状況を見てナポレオンはエルバ島を脱出し、パリに戻り皇帝に復位した。

ウィーン会議と百日天下/岐阜県まるごと学園

脱出時には「食人鬼」、本土上陸時は「コルシカの鬼」、パリに近づくにつれ「怪物」「暴君」「簒奪者(さんだつしゃ)」と変わっていき、パリ到着直前には「ナポレオン」「皇帝」に。そして最後は「皇帝陛下はチュイルリー宮にご帰還」であった

余録:ロシア遠征の失敗で失脚したナポレオンが…/毎日新聞
今度は孤島「セント・ヘレナ島」へナポレオンを島流し
Des Jacobs/YouTube

(前略)ナポレオン軍はワーテルローの戦いに敗れ、1814年7月3日、パリは開城、ナポレオンは再び敗れ去った。ナポレオンはアメリカに亡命するつもりであったがイギリス軍に捕らえられ、南半球の大西洋にある孤島セントヘレナ島に流されることとなり、2カ月の航海の後、同島についた。

セントヘレナ島/世界史の窓

ナポレオンがセント・ヘレナに到着したのは1815年の10月。少数の随行員が同行していましたが、ナポレオンを監視するため多くの英国兵士も送り込まれ、ナポレオン自身の行動はかなり制限されていたようです。

ナポレオンが島流しにされた、大西洋のセント・ヘレナ島はどんなところ? その1/エイビーロード

“ワーテルローの戦い”の後始末「アーヘン会議」

1818年の秋にドイツのアーヘンで開催された国際会議である。

アーヘン会議 (1818年) – Wikipedia

1815年のベルギー戦争(ワーテルローの戦いも含まれる)の後始末をどうつけるか。
それを話し合う会議だった。
参加国はイギリス・プロイセン・オーストリア・ロシアの戦勝4カ国と、敗戦国のフランス。

アーヘン会議/物語 ナポレオンの時代
ロスチャイルド家を排除する動き

ウィーン会議で旧勢力によるヨーロッパ支配体制が復活すると、老舗の業者は旧体制と組んで、新興のユダヤ人金融業者であるロスチャイルド家を排除しようと画策し始めた。

横山三四郎. ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.732-734). Kindle 版.

(前略)1818年10月の同盟軍のフランス撤兵と賠償金分配を話し合うアーヘン会議でもロスチャイルド家は弾き出されそうだった(後略)

ロスチャイルド家/Wikipedia
【怖すぎる】ロスチャイルドが国家に攻撃

アーヘンで開催された会議の最中にヨーロッパ各地でフランス国債が暴落したのだ。フランスの財政が破綻しては賠償金が取り立てられないから、各国の代表は青ざめた。ロスチャイルド家の仕業だったのだ。

横山三四郎の「ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡」を読んだ感想/Lounge Cafe

これだけの相場を動かせるのは莫大な資産をもつあのロスチャイルドしかない──アーヘンに集まっていた各国首脳と銀行家たちはようやく事態の重大さに気付いた。ロスチャイルド家の恐るべき力を思い知らされたオーストリア宰相メッテルニヒらは、アーヘンに来ていたサロモンとカールをパーティーに招き入れ、商談をもちかけて怒りを解いてもらおうとした。すると不思議や不思議、公債相場は次第に落ち着きを取り戻し始めたのだった。

横山三四郎. ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.747-751). Kindle 版.

敗戦国「フランス側」にもロスチャイルド!

(前略)ヘッジ・ファンドの元祖敗戦国フランスがイギリス同盟国に支払う賠償金の総額は7億フランに達した。この支払いを公債として引き受けたのがフランス・ロスチャイルド商会のジェームズ・ロスチャイルドである。

ロスチャイルド家 – Jinkawiki

1817~18年、フランス・ロスチャイルド商会代表・ロスチャイルド兄弟の末弟のジェームズ・ロスチャイルドが、この支払いを公債として引き受けた。ジェームズは、この公債を売却して得た金を投資家の貸し付けに流用しながら、年間50%の利息を稼いだと云われている。

2代目ロスチャイルド・ネイサン時代、ナポレオンとの確執/現代革命論争資料蒐集
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「アメリカとの戦争はちょっと……」パーシヴァル英首相 暗殺事件【ロスチャイルド陰謀論】
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