【ロスチャイルド陰謀論(17)】バルフォア宣言とは何だった?ユダヤ国家の起源にまつわる陰謀論

この記事は、ロスチャイルド家とその影響力についての陰謀論を探求します。特に、バルフォア宣言とユダヤ国家イスラエルの起源に焦点を当て、その背後にある金融と政治の力を解き明かします。第一次世界大戦、ユダヤ人の故郷への憧れと帰還の願い、そしてそれらがどのように絡み合って現代の中東の政治的緊張を生み出したのかを詳しく説明します。

【ロスチャイルド陰謀論(16)】FRBの本当の役割って?米ドル発行と金融システムの仕組みを解説
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World War I

人類史上初の世界戦争

HISTORY/YouTube

ユダヤ人の国家、イスラエルの創立は、第一次世界大戦中の1917年、バルフォア宣言により公式に提唱されました。しかしその背後には、すでに何世紀にもわたるユダヤ人の故郷への憧れと帰還の願いが存在していました。

破滅への序章…第一次世界大戦勃発と世界の激動

1914年6月28日、ヨーロッパの政治的均衡は一瞬で崩れ去りました。バルカン半島の一部であるボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナントとその妻がセルビア人民族主義者により暗殺されるという衝撃的な事件、「サラエヴォ事件」が発生しました。この事件が火蓋となり、世界は全面戦争へと突入することとなりました。

サラエヴォ事件からわずか1ヶ月後の7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に宣戦布告しました。これがきっかけで、既に脆弱化していたヨーロッパの大国間の同盟と敵対関係が一気に崩壊し、大陸全土が戦火に包まれることとなりました。

オーストリア=ハンガリー帝国の同盟国であるドイツ帝国は、その後すぐにロシア帝国とフランス共和国に対して宣戦布告し、更には中立国であるはずのベルギー王国とルクセンブルク大公国へと侵攻しました。これに対し、ベルギーの中立侵犯を理由に、英国はドイツに対して宣戦布告を行いました。

これにより、ドイツとオーストリア=ハンガリー帝国を中心とする「中央同盟国」(ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国、ブルガリア)と、イギリス、フランス、ロシアを中心とする「連合国」(イギリス、フランス、ロシア、イタリア、日本、アメリカなど)との間で、全世界的な規模の戦闘が行われることとなりました。これが人類史上初の全世界的規模の戦争、すなわち第一次世界大戦となったのです。

開戦から僅かな時間が経過した後、日本とモンテネグロは連合国側に、オスマン帝国は中央同盟国側に参戦を表明し、その後の4年間、世界は前例のない規模の戦争に見舞われることとなりました。この戦争は、約1,700万人の人命を奪い、さらに大量の負傷者や難民を生み出すという人間の歴史上でも最大級の惨事となりました。

第一次世界大戦は、その規模と影響から20世紀最初の大戦争ともされ、現代戦争の先駆けとなりました。この戦争は国際政治を根本から揺るがし、多くの国々の地図を再描き、世界を新たな時代へと突入させました。

HuntleyFilmArchives/YouTube

戦争の舞台裏に潜む金融の巨人!モルガン商会と第一次世界大戦

世界大戦と言えば、戦略や軍事技術、政治的な動きが主に焦点を当てられがちですが、戦争の舞台裏では、財政面での支援が各国の運命を大きく左右していました。その中でもJ.P.モルガン・アンド・カンパニー(以下、モルガン商会)が果たした役割は、戦時の金融史において非常に重要でした。

1914年、第一次世界大戦が勃発した時、モルガン商会は既に世界の金融セクターで重要な位置を占めていました。それまでの紛争でも資金を提供してきたモルガン商会は、戦争によって金融市場が揺らぎ始めると、その影響力を駆使して主導権を握ることに成功しました。

アメリカは当初、交戦国への公的債務の引き受けを禁止していました。しかし、モルガン商会はその規制を巧みに回避し、軍需物資の調達に必要な資金を提供する形で、実質的に英仏両国に融資を行いました。

1915年1月、モルガン商会はイギリス陸軍および海軍と、その後フランスと契約を結び、軍需品の効率的な調達を支援する中間業者の役割を果たしました。その年の終わりまでには、1億8700万ドル相当の債券が未販売となりましたが、モルガン商会が介入し、英仏両国に対して更なる資金を提供しました。その結果、モルガン商会は戦争が終結するまでに15億ドル以上を貸し出すこととなりました。

モルガン商会は投資銀行としては最大ではなかったものの、人脈が広く影響力が大きく、戦争における重要な役割を担いました。この銀行が提供した融資は、英仏両国が戦争を続け、結果的に連合国の勝利に貢献する原動力となりました。

モルガン商会や他の金融機関が果たした役割は、財政的な視点から第一次世界大戦を再評価するきっかけとなり、金融資本が歴史の流れをどのように左右するかを理解する上で非常に有益であると言えます。金融の力がいかに重要であったかを示す一例として、モルガン商会の活動はその後の金融史においても重要な参考点となっています。

事実に基づく検証と陰謀論の嘘!ロスチャイルド家と第一次世界大戦

近年、インターネット上で広まっている一部の陰謀論は、歴史の事実に基づかない誤解や歪曲を含んでいます。その一つがロスチャイルド家に関連する陰謀論で、特にネイサン・マイヤー・ロスチャイルドの曽孫であるライオネル・ウォルター・ロスチャイルドを巡る話は、しばしば歴史的事実とは異なる形で伝えられています。

一部の陰謀論では、ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドが第一次世界大戦中に英国の首脳部の努力を妨害して戦争を継続させたという主張がありますが、これは根拠に乏しいものです。

他の陰謀論では、ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドが英国政府に対してアメリカを連合国側に引き込むことを提案し、それを条件に中東におけるユダヤ人国家の建設を推進するよう要求したと主張されています。しかし、これらの主張は具体的な証拠や信頼できる情報源に基づいていないため、真実を歪曲したものと言えます。

事実は、第一次世界大戦中の英国政府は、戦争を継続する意志を持っていたわけではなく、逆に平和を追求していました。当時の英国政府は、ドイツの脅威に対処するために様々な対策を探求しており、その過程でアメリカを戦争に引き込むことも視野に入れていたことは事実です。

しかし、それがライオネル・ウォルター・ロスチャイルドの陰謀によるものだという主張は、現存する歴史的証拠によれば根拠がないと言えます。

驚きのバルフォア宣言! パレスチナにユダヤ人国家を促進

1917年10月、イギリスの戦争内閣は会議で提案を採択し、英国政府がパレスチナの地にユダヤ人の国家の建設を促進するためのあらゆる努力を行うことを決めました。

11月2日、外務大臣アーサー・バルフォアから、シオニスト連盟の会長であるロスチャイルド卿に手紙の形でこの内容が伝えられました。これがバルフォア宣言として知られるようになりました。

The Economist/YouTube
ロスチャイルドへの手紙

手紙の全文は以下の通りです。

「尊敬するロスチャイルド卿へ イギリス政府を代表して、内閣に提出され、承認されたユダヤ人のシオニストの願望に対する以下の声明をお伝えすることを、大変喜びに感じています。 イギリス政府は、ユダヤ人の国家ユダヤ人の国家のパレスチナでの建設を好意的に見ており、この目標の達成を促進するために最善の努力を行うでしょう。ただし、既存の非ユダヤ人コミュニティの市民および宗教的な権利、および他の国で享受されているユダヤ人の権利と政治的地位に損害を与えることはないことを明確に理解しています。 この声明をシオニスト連盟の皆様にお知らせいただけると幸いです。 敬具、 アーサー・ジェームズ・バルフォア」

バルフォア宣言の影響続く! 中東紛争の原因となった歴史的文書

バルフォア宣言はシオニスト運動の歴史とイスラエル国家の樹立において重要な瞬間でした。それはパレスチナにユダヤ人の故郷を創設するというシオニストの目標の実現に向けた大きな一歩でした。

また、この宣言は英国政府の中東における戦略的な利益と帝国主義の野望を反映していました。バルフォア宣言は後に1922年に国際連盟によって承認されたパレスチナ委任統治の文書に取り込まれました。

この文書は、現代の中東の政治地図を形成する上で重要な役割を果たしました。バルフォア宣言によって、ユダヤ人のパレスチナへの移民が大幅に増加し、それは後のイスラエル国家の形成につながりました。

しかし、バルフォア宣言は問題も引き起こしました。特に、パレスチナにすでに存在していたアラブ人コミュニティとユダヤ人移民との間の関係は、この宣言以降、深刻な緊張状態に陥りました。バルフォア宣言の文章には、「既存の非ユダヤ人コミュニティの市民および宗教的な権利」が保護されると記されていましたが、現実にはこの約束が完全には守られませんでした。

これらの問題は現在も引き続き中東の政治的緊張を生んでおり、イスラエルとパレスチナとの間の紛争を引き起こす一因となっています。バルフォア宣言は、現代の中東の状況を理解する上で、不可欠な歴史的文書であります。

アラブの英雄ロレンスが織りなす陰謀! オスマン帝国の終焉をもたらした戦略

第一次世界大戦が始まると、オスマン帝国は中央同盟国として参戦しました。この戦争は、帝国の政治的、経済的、社会的構造に深い影響を与え、その結果として帝国は終焉を迎えることになりました。

帝国が戦争に参加した主な理由の一つは、ロシアとの対立を抑制することでした。このため、イギリスはオスマン帝国に対抗する策として、陸軍将校のトーマス・エドワード・ロレンスを派遣しました。ロレンスは「アラビアのロレンス」として知られるようになり、アラブ人の反乱を支援する役割を果たしました。

ロレンスはアラブ人に対して支援を約束し、戦争が終わったときにはアラブ人がオスマン帝国内で自国を持つことができると説明しました。これはフセイン・マクマホン文書としても知られています。

しかし、ロレンスの本当の任務は、イギリスの真の意図を隠しながらアラブ人との連携を維持し、オスマン帝国に対するゲリラ戦を支援することでした。これにより、アラブ人の反乱は成功し、オスマン帝国の影響力は弱体化しました。

オスマン帝国の多民族国家としての性格

オスマン帝国はしばしば「トルコ人の国家」と認識されがちですが、実際には多民族国家であり、その領域内では多様な民族が共存していました。アラブ人、アルバニア人、ギリシャ人、クルド人、セルビア人など、多くの民族がオスマン帝国の一部として生活し、帝国の発展に貢献していました。

この多様性はオスマン帝国の強さでもありましたが、同時に内部の緊張と分裂を引き起こす要因でもありました。特に帝国の衰退期には、各民族間の対立が増大し、さまざまな民族主義運動が生じました。

日本においては1990年代まで、オスマン帝国はしばしば「オスマン・トルコ」と言及されていましたが、それは実情を十分に反映していませんでした。帝国の多民族性とそれがもたらす複雑さを考慮に入れると、「オスマン帝国」という表現がより適切であると現在は認識されています。

裏切られた約束! イギリスの三枚舌外交と中東の運命

アラブ人と約束をする一方で、イギリスはフランスに対して戦争終結後の中東分割案を提案し、秘密裏に協定を結びんでいました。これが「サイクス・ピコ協定」として知られるものです。この協定により、戦争終結後にオスマン帝国が崩壊した場合、その領土はイギリスとフランスの間で分割されることとなりました。

サイクス・ピコ協定は、一方でアラブ人の反乱を支援し、彼らに自治を約束していたイギリスの「二枚舌外交」、あるいは「三枚舌外交」の一環とも言えます。この「二枚舌」あるいは「三枚舌」の外交とは、次の3つの約束を指します。

  1. ロレンスを通じたアラブ人への支援と自由と独立の約束(フセイン・マクマホン文書)
  2. サイクス・ピコ協定によるフランスとの秘密協定
  3. バルフォア宣言によるユダヤ人へのパレスチナでの「国民の家」の設立支援

これらの約束は互いに矛盾しており、特にアラブ人とユダヤ人への約束はそれぞれの民族の期待と希望を膨らませる一方で、現実にはそれら全てを満たすことは不可能でした。

この「二重」あるいは「三重」の外交は、イギリスの短期的な戦略的利益を優先した結果であり、長期的な視点から見れば中東地域の安定を損なう結果となりました。中東の現代史は、この時期のイギリスの政策とそれがもたらした影響を理解することなくは語ることができません。

戦争の果てに生まれた新たな国々…オスマン帝国の崩壊と中東の混乱

オスマン帝国は1922年に崩壊し、その広大な領土は多くの新しい国々に分割されました。

アナトリア半島を中心にトルコ共和国が誕生し、かつてのオスマン帝国の支配領域であった中東やバルカン半島では、新たな独立国家が次々と生まれました。これらの国々にはエジプト、サウジアラビア、ヨルダン、レバノン、シリア、イラクなどがあります。

しかし、第一次世界大戦終結後も、イギリスやフランスなどの欧州列強はオスマン帝国の領土の分割に熱心で、特にアナトリア半島の分割には積極的でした。これはギリシャがセーヴル条約のもとアナトリア西部の大部分を獲得し、その結果、トルコとギリシャの間で1922年まで続くトルコ独立戦争(またはアナトリア戦争)が勃発した主な原因となりました。

さらに、オスマン帝国の旧領土であるパレスチナでは、バルフォア宣言をきっかけとしてユダヤ人の国家建設運動が活発化しました。

1917年以前には、ユダヤ人はパレスチナ地域に存在していましたが、ほとんどのユダヤ人とアラブ人は平和的に共存していました。しかし、バルフォア宣言とその後のユダヤ人の大量移入は、アラブ人との間の緊張を高め、やがてパレスチナ紛争と呼ばれる悲劇的な対立の火種を生み出すこととなりました。

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2018年に建国70周年を迎えるイスラエル――2000年前に国を滅ぼされ、現在に至るまで人口の増減こそあれ、イスラエルの地をホームランドとして住み続けるも、その多くは離散の運命をたどってきたユダヤ民族。度重なる迫害にも耐え抜き、近代ではポグロム、ホロコーストという試練を乗り越え、彼らはどのようにイスラエルの地に戻ってきたのか。本書はそのシオニズムの起源と歴史を繙いていく。イスラエル建国という「奇跡」はどのように起きたのか。また、現在直面している様々な問題はどこから来ているのか。建国の父テオドール・ヘルツェル、独立を宣言したダヴィッド・ベングリオンをはじめとする様々な人物を通して、イスラエル国が復活し現在に至った歴史を分かりやすく紹介する、イスラエル近代史の決定版!

The Lusitania Disaster

アメリカ参戦の引き金「ルシタニア号事件」

Smithsonian Channel/YouTube

アメリカが第一次世界大戦への参戦を決定するきっかけの一つとなったのが「ルシタニア号事件」です。ルシタニア号はイギリスの豪華客船で、1915年5月7日にドイツの潜水艦によって撃沈されました。この事件でルシタニア号に乗っていた1198人のうち128人のアメリカ人が犠牲となり、これが後のアメリカの参戦に影響を及ぼしました。

第一次世界大戦が勃発した当初、アメリカは中立の立場を保っていました。しかし、ルシタニア号事件によって、ドイツの戦争行為に対するアメリカ国民の意識が変わりました。アメリカのマスコミはドイツの行為を「蛮行」と強く非難し、アメリカ人の間に戦争への参加を望む世論が高まりました。

1917年に入ると、情勢は一段と悪化しました。ドイツは全面的な無制限潜水艦作戦を開始し、中立国の船舶でさえも攻撃の対象となりました。これによりアメリカの物資供給が阻害されるとともに、アメリカ人が再び犠牲になる可能性が生じました。これに対しウッドロウ・ウィルソン大統領は武装中立政策を表明し、ドイツへの対抗措置を求めました。

しかしながら、ウィルソン大統領のこの要求は当初、連邦議会によって拒否されました。だがその2ヶ月後、ついに議会は大統領の参戦決定を支持し、1917年4月6日、アメリカはドイツに対して宣戦布告を行いました。ルシタニア号事件は、アメリカの中立政策から戦争参加へと方針を変えさせるきっかけとなった重要な事件でした。

秘密の戦争物資とドイツの警告の真実

事件が起きてから間もなく、ルシタニア号の沈没について陰謀論が広まりました。特に、船が秘密裏に武器や戦争物資を運んでいたとする主張は多く拡散されました。

この陰謀は事実で、ルシタニア号は旅客船としてだけでなく、秘密裏に軍事物資を運ぶ船としても機能していました。

公式の貨物目録によると、船は4,200箱のリモントン社ライフル弾薬と1,250箱の榴散弾と信管を積載していましたが、これは目録の改ざんにより隠蔽されていました。

事実、船の積み荷には173トンの弾薬が含まれており、当時の国際法に照らし合わせると、ルシタニア号が攻撃を受けることは避けられない状況にあったと言えます。

さらに、ドイツ大使館はルシタニア号出航前にアメリカ市民に対して「乗船をするな」という警告を発表していました。これはドイツがルシタニア号が実際には武器輸送船であると認識していた証拠であり、そのためにルシタニア号を攻撃する正当性があったと主張することができます。

情報操作!ロスチャイルドとイギリスの巧妙な世論誘導

陰謀論者の中には、ロスチャイルド家が第一次世界大戦期のメディア風潮を操作していたという説を主張する人もいます。その節に、によれば、ロスチャイルド家は国際関係評議会とヨーロッパの新聞サービスを掌握し、英語版新聞を通じて情報操作を行ったとされています。

さらに、ロスチャイルド家は「野蛮なドイツが武器を持たないイギリスの運搬船を攻撃した」という視点を広め、アメリカの対ドイツ戦争参加を促進したとされています。

ドイツがルシタニア号の航行を事前に知っていて警告を発表した事実は、一般的には広く知られておらず、この部分についても陰謀論者から疑問が投げかけられています。

一部の陰謀論者はこの事から、ロスチャイルド家が支配するとされるメディアによって、事件の真相が隠蔽され、反ドイツ感情が煽られたと主張してます。

しかし、これらの主張は信頼性のある証拠によって裏付けられてはいません。

実際、ロスチャイルド家が国際関係評議会とヨーロッパの新聞サービスを掌握し、英語版新聞を通じて情報操作を行ったという主張は、確固たる証拠に欠ける陰謀論として扱われています。ルシタニア号に関する情報は、当時の新聞や公式の記録から確認することができ、これまでに陰謀の証拠は見つかっていません。

したがって、ルシタニア号に関連する陰謀論は、事実とは異なる説を広めるものであり、客観的な証拠とは矛盾しています。

チャーチルとルーズヴェルトの陰謀と情報操作

ルシタニア号が撃沈された当時、イギリス海軍大臣とアメリカ海軍副長官には後に世界史に名を刻む二人の男が就任していました。ウィンストン・チャーチル英首相とフランクリン・デラノ・ルーズヴェルト米大統領です。

特にチャーチルの関与は重要であり、彼はアメリカ人乗客を乗せた船がドイツ潜水艦に魚雷攻撃された場合、アメリカの公衆がどのように反応するかを調査するよう命じていたとされています。この事実は、イギリス海軍の諜報部から得られた情報であり、さらに、アメリカ海軍の情報源からも確認されました。

さらに、撃沈に関してもイギリス海軍は初期の報告では弾薬による大爆発と誤報していました。しかし、戦後になって魚雷一発で沈没したことを認めました。これは、弾薬の存在を隠蔽するためだったと考えられます。

これらの情報は、ルシタニア号事件が単なる戦時の惨事ではなく、複雑な政治的操作と情報戦の中で生じたことを示しています。この事件を通じて、チャーチルとルーズヴェルトがどのように戦争の流れを操作し、自国の利益を追求したかが見て取れます。

JPモルガンが連合国を支えた第一次世界大戦の真実

第一次世界大戦におけるJPモルガンの役割は、その巨大な金融力とネットワークを駆使して連合国(特にイギリスとフランス)の戦争遂行を支えるものでした。JPモルガンは戦争債券の発行や軍需品の調達と輸送を手掛け、英仏の戦争費用を賄いました。

JPモルガンは戦時中に5億ドル(現代の価値で何十億ドルにも相当する)の債券を発行し、これが英仏両国政府への大規模な支援となりました。また、連合国の購買代理店としても機能し、連合国が必要とする軍需品や他の商品の購入を300億ドル以上にわたって支援しました。これにより、アメリカの金融と産業はイギリスとフランスの戦争運命と深く結びつくこととなりました。

この他にも、JPモルガンは戦争債券の販売を通じて戦争費用を賄うとともに、多くの銀行員が軍務に就いたり、赤十字社でボランティア活動に参加したりしました。そのため、JPモルガンは金融面での支援だけでなく、人材の提供によっても戦争を支援しました。

アメリカが最初は中立を保っていたものの、連合国への大規模な供給国であったため、戦争が長引き、連合国と中央同盟国との間に膠着状態が生じると、JPモルガンを含む金融機関は、自分たちが貸し出した資金を回収するためには連合国の勝利が必要であると判断しました。

そのため、JPモルガンなどはアメリカが連合国側に立ち、最終的には戦争に参戦することを強く支持しました。これは、金融機関が国際政治に大きな影響を与える一例と言えるでしょう。

アメリカが金融の中心へ!第一次世界大戦がもたらした国際的な躍進

1917年4月6日、アメリカ合衆国は正式に第一次世界大戦に参戦しました。この参戦は、ヨーロッパでの戦争開始から2年半以上経過した後のことでした。

ドイツが北大西洋と地中海での無制限の潜水艦戦を停止するという約束を破ったことと、ドイツがメキシコをアメリカに対する同盟に誘おうとしたことを理由に、ウッドロウ・ウィルソン大統領は参戦を決定しました。

アメリカの参戦は決定的な影響をもたらし、連合国側の勝利を後押ししました。そして1918年にはドイツで革命が起こり、ヴィルヘルム2世が退位。ドイツ共和国が誕生し、中央同盟国の敗北が確定しました。

この大戦の結果、アメリカは世界最大の債権国として浮上し、国際経済と政治の重要な指導者となりました。戦争から逃れてきたヨーロッパの移民は労働力を担い、労働力が豊富となりました。さらに、株式市場の繁栄とともに、アメリカは世界の工業生産の40%、世界の金の44%を保有し、新たな「世界のボス」としての地位を確立しました。

そして、ウォール街がロンドンのシティに取って代わり、国際的な金融センターとなりました。

戦争中、アメリカの産業は297,000機の航空機、193,000門の大砲、86,000両の戦車、2,300,000丁の機関銃を含む、ほぼ全ての連合国の軍需品の2/3を提供しました。この戦争により、アメリカは世界最大の債権国、世界最大の金保有国、そしてそれに伴い世界の金融センターとしての地位を確立しました。

驚愕の陰謀論!第一次世界大戦はロスチャイルド財閥の世界戦略だった?

さらに別の視点から見ると、第一次世界大戦はロスチャイルド財閥による世界管理戦略の一環として進められたという解釈も存在します。この説では、ロスチャイルド財閥は、旧態依然とした支配体制である当時の「4つの帝国」を崩壊させることを目指していたとされています。

戦争初期、ヨーロッパの首脳陣や一般市民の多くは「半年もすれば戦争は終わるだろう」と予測していました。しかし、事態は複雑化し、オスマン帝国がドイツ側に、日本やアメリカが英仏露側に参戦するなど、次々と各国が戦争に巻き込まれ、結局戦争は4年間に及ぶものとなりました。戦争の結果、連合国(英仏露側)が勝利し、上記の「4つの帝国」は崩壊。それぞれの王家も没落しました。これは、陰謀論の視点では、ロスチャイルド財閥の意図と一致していたとされます。

この陰謀論の一例として、アメリカの自動車王ヘンリー・フォードが1915年に「誰がこの戦争を引き起こしたのか私は知っている。それはドイツのユダヤ人銀行家だ」と非戦を訴え、1925年には「私が最も敵対することは、国際金融資本家が戦争のたびに彼らの欲望を達成するためにお金を動かしていることだ」と語ったことが挙げられます。

しかしこのような視点は、一部の個人やグループ間での認識に過ぎず、厳密な歴史的事実や証拠に基づくものではありません。第一次世界大戦は、複雑な政治的・経済的要因や国家間の関係から引き起こされたものであり、ロスチャイルド財閥による陰謀とは異なる見方が一般的です。

FRBがアメリカの戦争支援における重要な役割

第一次世界大戦中、アメリカの中央銀行であるFRB(連邦準備制度)は、国の戦争参加を資金面で支援する重要な役割を果たしました。FRBは戦争債券の販売を支援し、トレジャリー証券を購入する銀行に対して優遇金利で融資を提供するなどの活動を通じて、戦争資金の供給源となりました。

この戦争は、新たに設立されたばかりのFRBにとって最初の大きな試練であり、その結果として制度そのものが成長し、進化しました。戦争の影響を通じて、FRBは真の意味での中央銀行へと発展し、それにより財源の拡大と米ドルを主要な国際通貨にする流れが加速されました。

一方で、戦争は一時的にFRBを財務省の下位組織という位置づけに追いやりました。しかし、その過程でFRBは中央銀行として機能するために必要な財源と専門知識を開発する機会を得ることとなりました。戦争が終わると、FRBは財務省からの独立性を主張し、インフレーションを抑制するための新たな政策を打ち出しました。

連邦準備銀行は戦争債券の販売を調整し、管理した。また、FRB制度のメンバーである全ての銀行が債券を購入できるようにしました。戦争中、FRBは、その後の30年間において熟練することとなる役割を果たしました。

つまり、アメリカ財務省にとっての巨大な財務会社として機能し、資金調達の中心的存在となったのです。

信頼と影響力!ウィルソン大統領の顧問、コロネル・ハウスの謎

エドワード・マンデル・ハウス(通称コロネル・ハウス)は、ウッドロウ・ウィルソン政権下で特に第一次世界大戦時のアメリカ外交政策形成において重要な役割を果たした人物であり、ウィルソン大統領の信頼する顧問でした。彼は1858年7月26日、テキサス州ヒューストンにてトーマス・ウィリアム・ハウスとエリザベス・シアードの間に生まれました。

ハウスは公職には就いていなかったものの、テキサス州知事の信頼できる顧問となり、その後のウィルソン政権においても同様の役割を果たしました。テキサスの人々から「コロネル(大佐)」という名誉称号を授与され、彼はその称号を通してキャリアを通じて使用し続けました。

1900年代初頭、ハウスは銀行家たちの政治及び政府への影響力を研究するため、ロスチャイルド家によりヨーロッパに派遣されました。アメリカへ帰国したハウスは、ウィルソンが民主党の大統領候補に指名される上で重要な役割を果たしました。彼はウィルソンの選挙キャンペーンを管理し、ウィルソンの1912年の大統領選挙での勝利を確固たるものにしました。

ウィルソンが大統領に選出されると、ハウスはウィルソンの信頼深い補佐役となりました。特にウィルソンの外交政策に深く関与し、戦時の外交政策を形成する上で重要な役割を果たしました。ハウスは「ザ・インクワイリー」と呼ばれる学術的な専門家チームを結成し、戦後の世界的な問題の解決策を練る任を負いました。1918年9月、ウィルソンはハウスに国際連盟の憲章の準備を命じました。

一部の陰謀論者からは、ハウスがアメリカ合衆国憲法に違反する形で、連邦準備制度銀行の設立に関してロスチャイルド家からの指示を受けた仲介役だったとの主張もなされています。ただし、これらの主張は証拠不十分で議論の余地があり、広く受け入れられているわけではないため、その真偽については慎重に評価する必要があります。

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