【ロスチャイルド陰謀論(14)】謎めいた融資の陰に隠された秘密!ロスチャイルド家と日露戦争の結びつきとは!?

この記事では、戦争を支える融資の陰に隠された秘密やロスチャイルド家の役割に焦点を当てています。日本が戦費調達のために外国市場で政府債券を発行しようとした際、当時の日本銀行副総裁であった高橋是清や国際銀行家ジェイコブ・シフが奔走したことが紹介されています。

さらに、ロスチャイルド家が日本への投資や公債の買い占めを行った可能性も取り上げられています。興味深い情報や歴史的な背景を知りたい方は、ぜひ読んでみてください。

【ロスチャイルド陰謀論(13)】通貨戦争と陰謀の舞台裏!マッキンリー大統領暗殺事件の秘密
created by Rinker
「戦費調達」の絶対使命を帯び欧米に向かった高橋是清と深井英五。彼らを待ち受けていたのは、金本位制を元に為替レースを安定させ急速に進化した20世紀初頭の国際金融市場であった。未だ二流の日本国債発行を二人はいかに可能にしたのか?当時の証券価格の動きをたどることで外債募集譚を詳細に再現し、全く新たな日露戦争像を示す―金融版「坂の上の雲」。(「BOOK」データベースより)

Russo-Japanese War

日露戦争開戦

An image report of the Russo-Japanese War, number one (1904) by Kogyo Tsukioka. Original from The Rijksmuseum. Digitally enhanced by rawpixel.

1904年から1905年にかけての日露戦争は、日本とロシアの間で行われた大規模な戦争で、日本の勝利により日本の国際的地位が確固たるものとなりました。しかし、その背後でロスチャイルド家が日本への融資を行ったという説が存在します。

一部の史料によれば、ロスチャイルド家は日本に融資を行い、その資金で日本は軍事力を増強し、ロシアと対等に戦うことができたとされています。

日本に迫りくるロシアの危機

この頃、明治政府は北海道に屯田兵を配置し、朝鮮半島への勢力拡大を試みてました。しかし、これは宗主国である清朝との対立を深め、結果的に日清戦争へと発展しました。日本はこの戦争に大勝し、初の植民地を獲得しました。しかしその一方で、ロシアの干渉により遼東半島の返還を余儀なくされる結果となりました。

19世紀末になると、ロシアは東アジアへの関心を強めていました。不凍港を求めて東方に目を向けたロシアは、1891年から大陸横断鉄道の建設に取り組み、シベリア鉄道を建設して太平洋岸のウラジオストックへのアクセスを確保しました。西部シベリア鉄道が1895年に完成し、1900年にバイカル鉄道が完成した後、1901年には満州のハルピンまで到達しました。

このように、日本が海外進出を進めていた同時期に、ロシアもまた自身の勢力範囲を東方へと拡大していたのです。これらの動きが重なり合い、ついには日露戦争へと繋がっていきます。

この投稿をInstagramで見る

The Russo-Japanese War 1904-05(@russojapanesewar)がシェアした投稿

日露戦争を引き起こすきっかけの1つ「義和団事件」

1898年には、中国の山東省を中心に発生した義和団の乱が、東アジアの国際情勢を一変させました。義和団とは、「扶清滅洋」を掲げ、外国勢力を排斥する目的で組織された集団です。彼らはドイツの教会や中国人キリスト教信者らを襲撃し、さらに天津や北京に大集団で押し寄せました。

この騒乱が収束したのは、明治34年(1901年)の北清事変最終議定書が結ばれた時でした。この議定書により、外国軍の北京公使館区域への駐兵が認められました。

イギリスが日本の力を認めた!「日英同盟」

明治33年(1900年)の義和団事件は北京・天津にまで波及し、さらには清国政府も義和団に加担するという混乱の最中、国際的な関心は日本の軍事行動に集中しました。イギリスの要請に応じて日本は大軍を派遣し、これが後の日英同盟へと繋がるきっかけとなります。

この義和団事件での日本陸海軍の活躍が、イギリスに日本との同盟を結ぶ決断を促しました。北京に篭城した列国兵士の救出に際し、日本軍の勇敢さや軍紀の厳正さが強調報道され、それがロシア軍の横暴さと対比されることで、当時盛んに流布されていた「黄禍論」が風化し、イギリスの世論が親日的な方向へと転換しました。

こうした経緯を経て、イギリスは明治新政府を世界で最初に承認し、さらには両国ともに西洋列強として初めての対等条約を締結し、日英間の関係が一層深まりました。そして明治35年(1902年)、イギリスは東洋の新興国である日本と軍事同盟「日英同盟」を結び、先端軍事技術を提供しました。南下するロシアに対抗するため、日本とイギリスの利害が一致したのです。

ロシアと日本の緊張の高まり

義和団事件が終息後、各国の軍勢は次々と撤退しました。しかし、ロシア軍は東清鉄道保護の名目で満洲の主要部に留まり続け、この地域を事実上占領し続けました。この行動は、中国東北部への勢力拡大を目指す日本にとって脅威となりました。その結果、日本とロシアとの間には深い緊張感が生まれました。

ついにロシアに宣戦布告

交渉による解決が見えない中、日本は周到な作戦準備の末、1904年2月についにロシアに対して宣戦を布告しました。この戦争の主な舞台は朝鮮半島と満州(中国東北部)の南部であり、今日で言う日露戦争の始まりです。

しかし、戦争が長引くにつれて、日本の国力は次第に低下しました。旅順港閉塞作戦や奉天会戦、日本海海戦などでの勝利にも関わらず、資源や人的な消耗は避けられませんでした。

一方、ロシアでも1905年にロシア第一革命が勃発し、国内は混乱状態に陥りました。こうした中で日露戦争は続き、両国ともに困難な状況に立たされていきます。

created by Rinker
第二次世界大戦は「反ファシズム戦争」ではなかった!在米30年の著者が公開情報からつかんだ、勝者の「印象操作」によって封印された真実誰もそれを〈陰謀〉とは知らない――(「Books」出版書誌データベースより)

日本は負けるはずだった!その裏側には……。

日露戦争の開戦前、日本はロシアとの交渉によって戦争を回避しようとした。具体的には、朝鮮を二分し、共有するという妥協案を提示しました。しかしながら、ロシアはこの提案に応じませんでした。その理由としては、ロシアが小さな島国である日本に対して絶対的な優位性を持っていると自信過剰に思い込んでいたからです。彼らは戦争によってすべてを奪えると確信していました。

Russian Battleship CHESMA (1894-1924)

そもそもロシアと戦うための“お金がない”

日露戦争中、日本は巨額の戦費を調達する必要がありました。政府債券はその戦費の82.4%をまかなうために利用され、その多くは外国市場で発行されました。一方、日中戦争および第二次世界大戦の総費用の86.4%も政府債券でまかなわれました。このことからも分かるように、当時の日本は国際金融に大きく依存していたのです。

しかし、戦費調達のために政府債券を外国市場で発行するという試みは困難を伴いました。当時日本銀行の副総裁だった高橋是清はヨーロッパとアメリカを巡り、日本政府債券の買い手を探しました。しかし、日本は東洋の小さな国であり、西洋の投資家から見ればリスクが高く見えました。ロンドンやニューヨークの金融市場で日本政府債券を購入する投資家はほとんどいませんでした。

さらに困難な事態として、世界最大の富豪であるロスチャイルド家さえも日本の債券購入を拒んだのです。しかし、その後の展開は予想外のものでした。

露戦争を勝利に導いたユダヤ人の融資

ヤコブ・シフの活動は、日露戦争時の日本の戦費調達において確かに重要な役割を果たしました。シフはドイツ生まれのユダヤ人で、アメリカの著名な銀行クーン・ローブ商会のシニアパートナーでした。彼は日本政府債券の引受けを引き受け、日本に対して約2億ドル(現在の価値でおよそ1兆円)の融資を行いました。

この融資のおかげで、日本は必要な軍事装備や兵器を購入するための資金を確保することができました。その結果、日本はロシアとの戦争に成功し、東洋の小さな国として初めて西洋の大国に勝利を収めることができました。

日本からの感謝の意は大きく、特に当時の日本銀行副総裁であった高橋是清からは、シフの死後の追悼文で感謝の意が表されました。彼はシフを「正義の擁護者」と評し、彼の援助が日本の正義のための精神的な支援を示すものと捉えました。

シフの日本への貢献は日本政府によって公に認められ、彼は日本を訪れ、明治天皇から旭日章を授与されました。これは外国人がこのような栄誉を受けるのは初めてのことでした。

シフが日露戦争で日本を支援した理由は、単に商業的な利益を追求するためだけではありませんでした。彼自身がユダヤ人であったことから、ロシア帝国の反ユダヤ主義政策に対する反感も大きな動機となりました。ロシアのポグロムや反ユダヤ主義政策に反対する立場から、シフは日本の支援を通じて間接的にロシアに対抗しました。

ノーベル平和賞受賞の栄光!ルーズベルトと日露戦争の終結

日露戦争の終結には、アメリカ合衆国の重要な仲介が介在しました。当時のアメリカ大統領であったセオドア・ルーズベルトは、日本やロシアが決定的な勝利を収めることよりも、地域の力の均衡と経済的機会の均等を維持することを目指していました。ルーズベルトの見解としては、戦争を双方に役割を残す条件で終結させることが望ましいと考えられていました。

1905年9月5日、ロシア皇帝ニコライ2世はルーズベルトの斡旋を受け入れ、アメリカのポーツマスで日露講和条約、すなわち「ポーツマス条約」が調印されました。これは日本海海戦から約3ヶ月後のことで、30日間にわたりロシアと日本の高官が「建物86」と呼ばれる場所で交渉を行った結果です。

ルーズベルトはこの交渉において重要な役割を果たし、その結果、日露戦争は平和的に終結することができました。彼のこの功績は世界から高く評価され、ルーズベルトは1906年にノーベル平和賞を受賞しました。これは現職のアメリカ大統領としては初めてのことでした。

戦争の代償としての賠償金!日本が得られなかった理由

ポーツマス条約により、日本は南サハリンとそれに付随する島々を確保しました。これらの領土は北緯50度以南に位置しており、その地位を確固たるものとするために、日本はさらにロシアの沿海州とカムチャツカでの漁業権を手に入れました。これにより、朝鮮半島における日本の優勢な地位も固定化されました。これは、日露戦争の一因となった要素のひとつです。

それにもかかわらず、日本はロシアから戦争賠償金を得ることができませんでした。日本は自国の財政難を解消するため、賠償金の獲得を強く求めていました。しかし、ロシアの首相セルゲイ・ウィッテの抵抗により、賠償金の取り決めからは外れることとなりました。和平交渉が失敗し戦争が続く可能性があれば、日本の国家財政に大きな打撃があるという懸念があったからです。

日本が戦争によって負った債務は巨額で、わずか1年半で約200億円、当時の国家予算の7倍に相当する金額を戦費に費やしていました。そのため、ロシアから賠償金を一銭も得られなかったことは、疲弊した日本国家財政にとって大打撃となりました。

日本の財政難と東アジアにおける躍進

日露戦争後の日本は、戦費が17億円に膨れ上がり、そのうち約三分の二が外国債務という、深刻な財政難に直面することになります。この負債は高い税金と低い金利での外国債務の増加により、更なる財政圧迫をもたらしましたのです。

しかし、その一方で戦争は日本を東アジアにおける強国へと押し上げ、ロシアは東アジアでの拡張政策を断念せざるを得なくなりました。これにより、日本は近代史において初めて欧州の大国を打ち破ったアジアの強国となったのです。

カスピ海の利権から見える陰謀…ロスチャイルドとシフのロシアへの距離感

一部の陰謀論では、帝政ロシアが他の欧州諸国と異なり、中央銀行を認めていなかったと主張されます。さらに、歴代のロシア皇帝はユダヤ人に対して激しい迫害を行い、彼らがロシア正教に改宗することを拒んだとも言われています。

この状況から、ロスチャイルドとシフはロシアに対して強い嫌悪感を抱いていたと言われます。ただし、ロスチャイルドはカスピ海沿岸のバクー油田の利権に関与していたため、直接的にロシアを敵に回すことはできませんでした。そのため、公には距離を置きながらも、裏でシフに協力していたとされています。

ユダヤ人にとってロシアは敵国であり、そのためユダヤ系財閥が日本を支援したとも主張されています。また、ロスチャイルド財閥はイギリス政府のスポンサーでもありました。イギリスを通じて日本を軍事的に支援したとも言われています。

なお、国際社会では日露戦争を「ユダヤ系共産主義者がロシア皇帝による迫害から解放され、革命を起こすための戦いの始まり」と解釈する見方もあります。実際、日露戦争の13年後の1917年にロシア革命が勃発しました。

歴史的証拠なし!ロスチャイルド家やシフ家の日露戦争操縦説

確かに、帝政ロシアではロシア正教への改宗を拒んだユダヤ人への暴力的な差別や迫害を受けてました。しかし、これを単純に皇帝や宗教への改宗行為とすることは短絡的すぎます。反ユダヤ主義は当時のヨーロッパの様々な地域で広まっており、ロシアにのみの話ではありません。

この事実を基にロスチャイルド家やシフ家などの特定のユダヤ人金融家が日露戦争を裏で操っていたという主張は、歴史的証拠に基づいていません。また、ロシアがヨーロッパで唯一中央銀行を持たない国であったという主張も誤りです。

確かにロシア革命は日露戦争の13年後に発生しましたが、それは社会的、政治的、経済的な様々な要因に影響を受けた複雑で多面的な出来事でした。革命を単に戦争や特定の人々に帰することは正確ではありません。

ヴィッカーズ社の関与と借金の事実を考える

ロスチャイルドの軍事支援に関する説について、1890年代に世界最大の軍事産業企業であるイギリスのロスチャイルド家が所有するヴィッカース社が存在したことは事実です。日本政府は当時の戦争のために、ロスチャイルド一族や国際銀行家のジェイコブ・シフから大量の戦費を借り入れました。

これらの借金は、ロスチャイルド一族の兵器会社であるヴィッカーズ社が製造した大型戦艦などの購入に充てられました。例えば、バルチック艦隊を破ったと言われる戦艦三笠も、ヴィッカーズ社からの購入でした。これらの製品は実際に日露戦争で重要な役割を果たしました。

ただし、これらの事実は、ロスチャイルド家やシフ家が個人的な意図で日露戦争を操った証拠とはなりません。

ビジネスとして、ヴィッカース社やその他の武器製造業者は様々な国からの契約を受け入れていました。それが戦時だったとしても、それはビジネスの一環であり、特定の政策や意図を推進するためのものではありません。

歴史の陰謀か?ヴィッカーズの陰謀論

ヴィッカーズが、ロシア軍への武器納入を故意に遅らせ、バルチック艦隊の石炭積み込みを妨げるなどの工作を行い、日本を戦争で勝利させるために日本を戦争に引き摺り込んだという説も存在します。

この説によれば、ヴィッカースは日本の軍事力を強化することで自社の兵器を販売し、利益を得る意図があったとされています。

これについては一般的な歴史的文献には存在せず、ロスチャイルド家がバルチック艦隊の石炭の積み込みを阻害したという具体的な証拠も見つかっていません。

ヴィッカーズ社のような企業は、契約に基づき製品を供給する責任があり、納入遅延は契約違反になり得る重大な事態です。したがって、故意に納入を遅らせるという行為は大きなリスクを伴います。

もし具体的な証拠や史料が存在し、それが確認できるならば、その事実は歴史的に重要な意味を持つことでしょう。しかし、具体的な証拠や詳細な情報がない限り、これはあくまで一つの主張に過ぎません。

以上ような主張については、証明されたものではなく、陰謀論的な立場からの推測や誇張が含まれている可能性があります。

この投稿をInstagramで見る

The Russo-Japanese War 1904-05(@russojapanesewar)がシェアした投稿

歴史の裏側を暴く!ロスチャイルド家の戦争利益術に隠された真実とは?”

ロスチャイルド家やその他の国際金融家が戦争を利用して利益を得るために投資を行ったという主張は、一部の陰謀論者や批判的な視点から提唱されてきました。

彼らは、特定の家族や組織が戦争の勃発、継続、そして結果を操る能力を持っていると主張し、戦争の双方に投資を行い、その結果どちらの結果が出ても利益を得られるような手法を取っているとします。

陰謀論者の視点で見る戦争

一部の陰謀論者によると、ロスチャイルド家は日露戦争の裏で驚くべき投資活動を行っていたと言います。具体的には、ロンドン・米国ロスチャイルド家が日本に投資を行い、一方でパリ・ロスチャイルド家がロシアに大量の資金を提供していたとされています。

陰謀論者によると、このような双方向の投資はロスチャイルド家の古くからの手法であり、彼らのビジネス戦略の一部と見なされています。同様の戦略がアメリカ独立戦争の際にも行われたと主張されています。

陰謀論者の主張するビジネスモデルの要点は、二つの対立する国や勢力に対して大量の資金を提供し、勝利国からは金利と成功報酬を受け取り、敗北国からは領土などの担保を得ることにあります。

このような視点から見ると、ロンドンのロスチャイルド家は、表向きには高橋是清を排除しようとし、裏では日本の公債を買い占めるためにシフと協力していたとされています。さらに、日露戦争で日本が優勢になると彼らは「パンミュア・ゴードン商会」を通じて日本の公債を大量に買い集めたとされています。

歴史の闇を照らす!ロスチャイルド家と戦争ビジネスの一端

しかしながら、このような主張は具体的な証拠や詳細な文献にしばしば欠けています。

また、ロスチャイルド家が経済的な影響力と政治的な影響力を完全に結びつけているという誤った前提に基づいています。経済的な影響力があるとしても、それが国際的な政策や戦争の結果を直接決定する力を持っているとは限りません。

その上、ロスチャイルド家や他の国際金融家が戦争の両方の側に投資を行ったという事実は、彼らが戦争の勃発や結果を操った証拠にはなりません。

それは単に彼らが利益を得るための投資の一部であり、彼らの広範なビジネス活動の一部でした。これらの投資は、日本が国際的な地位を強化し、経済的な成長を遂げる可能性があると彼らが予想した結果であった可能性があります。

要するに、ロスチャイルド家や他の金融家が戦争の両方の側に投資を行ったという事実は、彼らが戦争の勃発や結果を操った証拠にはならず、さらにそれが彼らの「ビジネスモデル」であったとする主張は過度に単純化された解釈です。戦争の背後には、経済的な要素だけでなく、政治的、社会的、文化的な要素が複雑に絡み合っています。

created by Rinker
「戦費調達」の絶対使命を帯び欧米に向かった高橋是清と深井英五。彼らを待ち受けていたのは、金本位制を元に為替レースを安定させ急速に進化した20世紀初頭の国際金融市場であった。未だ二流の日本国債発行を二人はいかに可能にしたのか?当時の証券価格の動きをたどることで外債募集譚を詳細に再現し、全く新たな日露戦争像を示す―金融版「坂の上の雲」。(「BOOK」データベースより)
【ロスチャイルド陰謀論(15)】世界を揺るがす陰謀の幕開け!ジキル島会議の謎に迫る

You might be interested in …

当サイトではプロモーションが含まれています。また、利用状況の把握や広告配信などのために、GoogleやASP等のCookieが使用されています。これ以降ページを遷移した場合、これらの設定や使用に同意したことになります。詳細はプライバシーポリシーをご覧ください

X