【ロスチャイルド陰謀論(12)】不死鳥のモルガン家!世界の金融舞台で織り成された陰謀と成功の物語

【ロスチャイルド陰謀論(11)】日本の勝利と清の敗北…賠償金とロスチャイルド家の真相
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世界を震撼させた金融危機はなぜ起こったか?次の震源地はどこだ?数々の修羅場を経験した国際金融のプロが、その要因と背景を解き明かす。(「BOOK」データベースより)

J. P.Morga

モルガン家の謎に迫る!世界を揺るがす陰謀説

John Pierpont Morgan at Harvard

モルガン家の名前が登場する時、すぐに思い浮かぶのはJ・P・モルガン、一世紀以上に渡り世界の金融界を牽引してきた資本家の家系である。ロスチャイルド家と同様に、彼らも様々な陰謀論の中心に位置づけられてきました。

産業界の支配者!J.P.モルガンと新興産業の独占戦争

19世紀末のアメリカは産業革命の全盛期であり、石油、鉄道、鋼鉄、電力などの分野で新たな資本家たちが台頭しました。その中でも、石油資本の巨頭であるロックフェラーと並び称される存在が、ジョン・ピアポント・モルガン(J.P. Morgan)でした。

モルガンは鉄道産業に投資し、企業を合併させることで業界の独占を図りました。これを「トラスト・バステイング」(Trust Busting)と呼び、モルガンはこの手法を駆使し、彼の経済帝国を築き上げることに成功しました。こうした動きにより、モルガンはアメリカのみならず、世界中の金融市場に影響を及ぼす力を持つようになりました。

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トラストを打ち砕け!シャーマン法と企業の闘い

これらの産業独占は広範な国民の反感を買い、1890年のシャーマン反トラスト法の制定につながりました。この法律は企業の独占を阻止し、市場の競争を保護するために導入されました。

しかし、シャーマン法などの反トラスト法は、企業独占を完全に阻止することはできませんでした。これらの大実業家たちは、その法律の抜け穴を巧みに利用し、事実上の独占を続けました。

ベアリングス・ブラザーズ!イギリス最古のマーチャント・バンクの物語

1890年、英国の大手銀行であるベアリングス・ブラザーズ(ベアリング銀行)がアルゼンチンの政府債務により破産の危機に直面しました。

後にイギリス最古のマーチャント・バンクとして知られるようになるベアリングス・ブラザーズは、1717年に始祖ジョン・ベアリングがわずか500ポンドの資金を携え、商業都市エグゼターに上陸したことから始まります。当時わずか20歳だったジョンはドイツからの移民であり、新たなチャンスを追い求めてこの地にやってきました。

ジョンはエグゼターの有力者ヴォウラー家の娘エリザベスと結婚し、一族を立てました。彼の商売はお茶、コーヒー、砂糖、スパイスなどの取引から始まりました。そして4人の息子と1人の娘をもうけた。息子たちの中でもフランシスは特に有能で、1762年にはロンドンに進出し、独自の店を開設しました。

フランシスは、ロンドンの貿易商人たちが直面する資金調達の問題を解決する機会を見つけました。彼は商人たちの手形を引き受けるビジネスを始め、これが大成功を収めました。このことが、ベアリングス・ブラザーズをロスチャイルドなどと並ぶ、世界の主要なマーチャント・バンカーの一つへと成長させる原動力となりました。

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「ベアリング危機」が引き起こす英国の起債市場パニック

アルゼンチンは、豊富な外資流入によってバブル的なブームを経験していましたが、バブルが崩壊した後、外債返済コストが輸出収益の60%に達するなど経済が急速に冷え込みました。

そして1889年、アルゼンチンの公共事業債の新規発行に失敗したベアリング・ブラザーズは、大量のアルゼンチン債を抱え込むこととなりました。

流動性が不足し、資金繰りが困難になったベアリング・ブラザーズは、破産の淵に立たされました。これが「ベアリング危機」と呼ばれる出来事で、これをきっかけに英国の起債市場はパニックに陥りました。

アルゼンチン革命と金融破綻!ベアリング・ブラザーズの絶望

さらに1890年、アルゼンチンで革命が発生し、政情が不安定になりました。これによってアルゼンチンは利払い不能に陥り、ベアリング・ブラザーズをさらに破綻の淵へと追い込みました。そのタイミングが最悪であったことは言うまでもありません。

1889年には、イングランド銀行の金準備がわずか900万ポンドまで減少しており、倒産を避けるためにはベアリング家だけで最低400万ポンドが必要となる状況でした。この絶望的な状況を打破するために、ベアリング・ブラザーズは一策を講じることになります。

ベアリング・ブラザーズとロスチャイルドの歴史的な協力

倒産の危機に直面したベアリング・ブラザーズは、助けを求める先としてイングランド銀行を選びました。そして、イングランド銀行はベアリング家のライバルであるロスチャイルド家に助けを求めることとなりました。

この結果、両社は協力して1500万ポンドを提供し、さらにロシアやフランスからも資金を借りることで、なんとか債権者に対して負債を返済することができました。

1890年の「ベアリング危機」は、全世界の中央銀行に大きな影響を与えました。彼らは、信頼性と協調性の大切さを痛感しましたが、それ以上に、中央銀行が豊富な金準備を保有することの重要性を強く認識するきっかけとなったのです。

それぞれの家族、特にベアリング家とロスチャイルド家の間の競争は、銀行業界に大きな影響を与え、その後の発展を促しました。ベアリング危機を通じて、資本家たちは、経済的危機に対応するための新たな戦略と解決策を模索する必要があることを痛感したのです。

Gold bar with hundred dollar bills

モルガンの決断がアメリカを救った!ベアリング危機の真実

この危機の中でJ.P.モルガンがアメリカを救ったという説が存在します。

その説によると、ベアリング危機の最中、米国もまた経済的に揺らいでおり、中央銀行を持っていなかったアメリカは、金の流出という形の資金繰りの問題に直面。こうした中で、J.P.モルガンが中央銀行の役割を担ったといいます。

そして、モルガンとロスチャイルド家は、協力して米国30年債6500万ドルを引き受け、これを金で引き渡しました。これによりアメリカは深刻な金準備不足、いわゆる「正貨危機」を乗り切ることができたといいます。

しかし、この説を裏付ける具体的な証拠はありません。

一方で、J.P.モルガンは金融システムの秩序と安定を回復するために重要な役割を果たしていました。

モルガンは主要な銀行家や金融の専門家たちを自宅に招集し、自身の図書室に仮設オフィスを設けました。モルガンと仲間たちは3週間にわたって、強い機関から弱い機関へ資金を流し、信託会社や証券ディーラー、ニューヨーク市の救済に動きました。その結果さらなる破綻を防ぐことに成功しました。

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戦争資金を支えた金融の力!ロスチャイルド家とJ.P.モルガンの戦略

1899年から1902年までの間、イギリス帝国とボーア共和国(南アフリカ共和国とオレンジ自由国)の間で戦われたボーア戦争中の1900年に、英国政府は戦争債券の発行を決定しました。

これらの債券の発行のために、ロンドンのロスチャイルド家とアメリカのJ.P.モルガンが委託されました。さらに、イングランド銀行も戦争資金の調達に関与しました。

戦争債券は、戦時中の軍事作戦やその他の支出を資金調達するために政府が発行する債務証券であり、人気のない税金増税を避けるために利用されます。

秘められた金融の闘争!モルガン vs. ロスチャイルド家のボーア戦争

陰謀論の一説では、この時モルガンはロスチャイルド家と協力するという姿勢を取らず、独立して英国に高額な手数料を請求しており、結果的に英国はこれを受け入れるしかなかった、と主張していす。

さらに、商売上では賢明に使っていたものの、モルガンは自身を「ユダヤ人嫌い」だと公言していたとされます。

そして、モルガンがアメリカと英国の両方で力を蓄え始めると、それまでロンドンで対立していたベアリング商会とロスチャイルド家は、共通の敵を見つけたかのように敵対関係が改善されていったとされています。

金融界の謎と陰謀!J.P.モルガンとロスチャイルド家のボーア戦争の真相

これらの主張について、確かにJ.P.モルガンとロスチャイルド家の両者が、戦争の資金調達に関与していたことは知られていますが、J.P.モルガンがボーア戦争の戦争債券の発行に高額の手数料を請求し、ロスチャイルド家と協力しなかったという主張を裏付ける具体的な情報や歴史的な証拠は見つかっていません。

ただし、J.P.モルガンとロスチャイルド家は、当時の金融界で著名な存在でありながらも、この特定の事例における協力または非協力の具体的な詳細は広く文献化されていないか、知られていない可能性もあります。

また、J.P.モルガンが「ユダヤ人嫌い」と公言していたという記録は一部に存在しますが、彼の個人的な見解とそのビジネス行動との間の具体的なリンクを確立することは困難です。彼がアメリカと英国の両方で力を蓄え始め、それがロンドンでのベアリング商会とロスチャイルド家の関係にどのように影響を及ぼしたかについても、具体的な詳細や証拠を示さない限り、確認することは困難です。

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