アメリカの経済史を紐解くと、その背後には通貨のコントロールとその発行権を中心に繰り広げられる権力の戦いが隠されています。
18世紀末、新たな国家としてのアメリカ合衆国が誕生した際、通貨の管理は誰の手に委ねられるべきかという問いが国家の成立と同時に浮上しました。
その中で、“ロスチャイルド”という名が頻繁に取り沙汰されています。彼らはヨーロッパを中心に経済の舞台裏で大きな影響力を持っていた一族であり、多くの陰謀論や都市伝説が結びつけられてきました。
Mayer Amschel Rothschild
ロスチャイルド財閥の創始者
ロスチャイルド家は、ヨーロッパを中心に金融活動を展開し、19世紀には世界中の政府や企業と取引を行い、巨額の富を築きました。
彼らは、政治や経済に大きな影響力を持ち、多くの国の中央銀行や企業の取締役会に参加しています。
慈善事業にも積極的に取り組むロスチャイルド家は、世界中の多くの慈善団体や文化事業を支援しています。彼らの慈善活動は、教育、医療、科学研究、芸術、環境保護など、さまざまな分野に及んでいます。
ロスチャイルド家は、複数の金融機関や企業を所有し、世界的な影響力を持ち続けています。しかし、それにもかかわらず、彼らの影響力や富に対する誤解や陰謀論が存在するのも事実です。
陰謀論の起源
ロスチャイルド家に対する陰謀論の起源は、19世紀のヨーロッパにまで遡ります。当時、ロスチャイルド家は銀行業を通じて巨大な富を築き上げ、その影響力から一部の人々は彼らが政治や経済に影響を及ぼしていると感じ始めました。
陰謀論の例
- 世界金融システムの支配: この陰謀論は、ロスチャイルド家が中央銀行を通じて各国の金融システムを制御していると主張しています。
- 戦争の引き起こし: 一部の陰謀論者は、ロスチャイルド家が大規模な戦争を引き起こし、それによって利益を得ていると主張しています。
批判と議論
これらの陰謀論は、しばしば批判の対象となっています。その理由は、証拠が不十分であること、または全く存在しないこと、そして多くの場合、反ユダヤ的な偏見やステレオタイプに基づいているという点です。
世界を裏で操る黒幕といえば!陰謀論界隈でよくネタにされる
ロスチャイルド家の名前が度々「黒幕」として挙げられることは、その家系が長年にわたり金融界における強大な影響力を保持してきた結果です。
特に、「陰謀論」を扱う書籍やインターネット上の情報では、彼らが世界を裏から支配し、政府や企業の動きを操っていると主張されることが多いです。
日本銀行についても、同様の「陰謀論」が存在します。特に、日本銀行の株主である政府と民間の分け前について、「陰謀論」の対象となることがあります。
しかし、日本銀行は日本政府が大株主であり、民間からの出資もあるものの、その政策決定過程は公開され、透明性が確保されています。
ロスチャイルド家と日本銀行との具体的な関連性について言及する情報は限られています。ロスチャイルド家が日本銀行を秘密裏に支配しているという確固たる証拠は存在しないのです。
ファミリーの基礎を築いた人物「マイヤー・アムシェル・“ロスチャイルド”」
ロスチャイルド家の創業者、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、18世紀のドイツで家族の事業を始め、その後、ヨーロッパ全土に拡大しました。
彼らの事業は成功を収め、特に19世紀のヨーロッパ中央銀行の設立に深く関与し、大きな資産を築き上げました。
マイヤーの有名な名言「通貨発行権を与えよ……。」
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの言葉としてしばしば引用されるのが、“Let me issue and control a nation’s money and I care not who writes the laws”(私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。)というものです。これについては真偽の確認が難しく、陰謀論の中でもしばしば引用されます。
中央銀行とロスチャイルド家
陰謀論の中で言及されるもう一つの観念は、「一国の中央銀行を支配すればその国全体を支配できる」です。これは、特にイングランド銀行の創設とその役割について、一部で語られる見解です。
その解釈では、中央銀行が紙幣を発行し、国王に貸し付けることで、国民の税金から利息を取り立てるというシステムを作り出しました。
そして、それが国民を搾取するために設立された仕組みだとされます。
しかし、これらの主張は、中央銀行の実際の機能や目的、そしてその複雑な歴史的背景についての深い理解に欠けている可能性があります。
現代の中央銀行は、一般的に、通貨の安定と経済の健全な動きを維持することを目指しており、政府や国民の借金を増やすための仕組みとは言えません。
また、ロスチャイルド家が中央銀行を通じて国家を支配しているという考え方も、歴史的事実とかけ離れています。
通貨発行を巡る陰謀論の始まり「イギリス植民地時代のアメリカ」
アメリカの通貨制度は、その初期の歴史から混乱と進化を繰り返してきました。
最初の通貨は、植民地時代に各地域が独自に発行していたもので、これは時には特定の商品(たとえばトバコ)でさえも含んでいました。
1776年にアメリカが独立を宣言した後、18世紀末までに国内には3つの銀行が存在していました。
しかしこの時点で、50種類以上の異なる通貨が流通しており、それぞれが国内の州、都市、辺境の店舗、あるいは大都市の事業家によって発行されていました。
さらに、外国の通貨、特にイギリス、スペイン、フランス、ポルトガルの貨幣や紙幣も一般的に使用されていました。
通貨の種類が多すぎることにより、その価値が不安定であったため、通貨の統一はアメリカの初期の重要な課題でした。
通貨の不安定さと経済の複雑さがアメリカ合衆国の経済の発展に影響を与え、その結果、アメリカの金融制度の再編成が求められるようになりました。
植民地時代において、イギリスはアメリカに対して鋳貨および地金銀の供給をほぼ全面的に禁止していました。
このため、植民地で自身の鋳貨を発行することは非常に困難で、一部の例外を除き、実際にはほとんど行われませんでした。
唯一の例外としては、マサチューセッツ植民地における造幣局の設立とそれによる小額鋳貨の発行がありましたが、これも1684年には閉鎖され、結局、植民地自身による鋳貨の発行は全面的に禁止されました。
ボストン茶会と通貨発行権
アメリカ独立戦争は、イギリスによる輸入茶への課税など、いくつかの要素が重なった結果として起こりました。
しかし、陰謀論の中には、実際にはイギリスによる公的通貨発行の禁止が戦争の引き金となったとする別の見かたも存在します。
不満の爆発
当時のイギリス政府は前の戦争で破滅的な負債を負っており、新たな領土の鎮圧、統治、防衛には高い費用がかかることが予想されてました。
そこでこの費用の一部をアメリカの13の植民地から回収することを決めました。
まず、1764年から1765年にかけて一連の措置を発表しました。紙幣の使用を制限する通貨法、関税を課す砂糖法、そして植民地の住民に対する直接税を初めて課す印紙法です。
これらの税率はささやかなものでしたが、これらの措置は植民地の人々を激怒させました。
彼らは「代表なき課税は許されない」というスローガンのもと、『自由の息子たち』といったグループを通じて市民不服従の運動を組織し、1773年の反関税騒動であるボストン茶会事件に至りました。
イギリス政府は報復法を制定しました。革命の導火線が点火されました。
植民地は貿易に必要な通貨が不足していました。金や銀の鉱山は存在せず、通貨はイギリスによって規制された貿易を通じてのみ入手できました。
植民地の多くは、紙幣の形で自らの通貨を発行する他に選択肢がなかったため、信用証券の形で紙幣を印刷しました。
しかし、共通の規制も実際の価値基準も存在しなかったため、混乱が生じました。1764年9月1日、議会は通貨法を可決し、植民地の通貨制度を実質的に制御しました。
この法律では新しい紙幣の発行や既存の通貨の再発行を禁止しました。
議会はポンドスターリングに基づく「硬貨通貨」制度を支持しましたが、植民地の通貨を規制する気はありませんでした。むしろ、単にそれらを廃止しました。植民地はこれに強く抗議し始めました。
「大陸通貨」アメリカ独立戦争と通貨発行
1775年、アメリカ独立戦争前夜に、13植民地は大陸会議を結成しました。これは戦争の資金調達を目的とした初めての組織的な取り組みで、これにより「大陸通貨」として知られる初の紙幣が発行されました。
大陸通貨の発行には、ベンジャミン・フランクリンという重要な人物が関与していました。フランクリンは印刷業界での経験を生かして紙幣のデザインと製造に大きな影響を与えました。
大陸通貨はアイビーや他の植物繊維から作られた紙に印刷され、マイカを混ぜることで耐久性を高めました。
また、偽造防止のため、凸版印刷技術や複雑なデザインが施され、裏面には葉脈に似た模様があしらわれていました。
大陸通貨は戦争のための資金を調達する手段として重要な役割を果たしましたが、それ自体がイノベーションを推進したわけではありません。
むしろ、金や銀などの貴金属が極めて不足していたため、紙幣が現実的な解決策として選ばれました。
1775年、アメリカ独立戦争前夜に、13植民地はアメリカ議会の前身となる大陸会議を結成しました。戦争資金を調達するための取り組みの一環として、大陸会議は「大陸通貨」として知られる紙幣を発行しました。
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イギリスはアメリカに偽札をばら撒いた
イギリス当局は、アメリカ植民地が独自の通貨を作ることに強く反対し、大陸通貨の価値を低下させるために偽札を大量に流通させる作戦を立てました。
この偽札の大量流通によって、新たに発行された大陸通貨の価値が大幅に下落していきました。
さらに、偽造防止のための複雑な印刷技術が採用されていましたが、イギリスの偽札作戦によって大陸通貨の信頼性は大きく損なわれました。
大陸通貨はアイビーや他の植物繊維から作られた紙に印刷され、耐久性を高めるためにマイカが混ぜられました。その厚さから、イギリス人はこれを「反乱者のダンボール紙のお金」と揶揄して馬鹿にしました。
結局、偽札の大量流通による価値の下落とイギリスからの絶え間ない妨害により、大陸通貨は失敗に終わりました。
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フランスのバックアップでこの戦争はアメリカの勝利!
アメリカ独立戦争は、始めは13植民地がイギリス軍に対して劣勢でした。
しかし、フランスがアメリカ側に立って支援し、その他の国も次々とアメリカ側に加わったことで、戦争の勢力のバランスが変わりました。
フランスの支援により、アメリカ軍は決定的な勝利を収め、1783年のパリ条約によってイギリスがアメリカの独立を承認することとなりました。
この戦争の間、ロスチャイルド家が重要な役割を果たしたことは特筆すべき事実です。
ロスチャイルド家は、イギリスだけでなくフランスにも影響力を持っており、フランスに対してアメリカ独立戦争への軍事支援や援助を働きかけました。
ロスチャイルド家はまた、ヘッセン=カッセル選帝侯領が雇った傭兵、ヘッセン兵の売買を成功裏に仲介しました。
ヘッセン=カッセル選帝侯領がイギリスから支払いを受けると、ロスチャイルド家はこれらの莫大な資金の管理を行い、アメリカ独立戦争の勝利に向けて大量の資金を提供しました。
ロスチャイルド家の代理人であるハイム・ソロモンはアメリカに派遣され、戦争の努力を支援するために数百万ドルを使って派閥を支えるという使命を帯びていました。
これは、主要な人物に賄賂を渡すことを含んでいました。ソロモンはこの任務を忠実に遂行し、彼が配布した資金の多くは大陸会議とその軍事作戦に利用されました。
このように、アメリカが戦争中に直面した経済の困難は、ロスチャイルド家やハイム・ソロモンのような個々の支援者、そしてフランスといった国々の支援により、克服されました。
そしてこれらの支援があったおかげで、アメリカは最終的に独立戦争に勝利し、イギリスによる独立の承認を得ることができました。
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【ロスチャイルド陰謀論(2)】我が国にも中央銀行が必要だ…アメリカ合衆国銀行が誕生