ダイヤモンドは昔はただの硬い石ころだった!?──宝石に仕立てた会社「デビアス」って?
Diamond Story
ダイヤモンドの歴史の始まり
最初のダイヤモンドはインドから
インドはダイヤモンドを最初に見つけて使い出した国。紀元前4世紀トラビダ族によるといわれる
小売店様向け宝石の知識「宝石大国・インド2」/中央宝石研究所(CGL)
南インドのドラヴィダ族は、川底に沈む不思議な石を見つけました。そして、石の美しさと言うよりも、その硬さに驚きました。ドラヴィダ族は、この硬さを利用して岩を削り、石を削って壮麗な宮殿や寺院といった数多くの文化遺産を残しました。
ダイアモンドの–基礎知識ダイアモンドの歴史/Heart and Arrow Diamond:
ダイヤモンドの原石はあまりに硬いため研磨および加工をすることができず、美しい輝きを秘めていることを人々に知られることはほとんどありませんでした。
ダイヤモンドの起源や歴史をご紹介!超巨大カラットのダイヤモンドとは?/I-PRIMO
漂砂鉱床(ひょうさこうしょう)
ダイヤモンドを含んだ鉱床が、長い間に雨や河川などによって崩壊し、水の流れによって運ばれました。こうした鉱床を、漂砂鉱床と呼びます。
ダイヤモンドの産地/アトリエトントン
かつてはインドだけでダイヤモンドが発掘されていた
(前略)インドは紀元前から18世紀前半まで世界唯一ダイヤモンド産地だった。現在はダイヤモンドの大研磨加工センターである。昔も今もインドは宝石大国である
小売店様向け宝石の知識「宝石大国・インド2」/中央宝石研究所(CGL)
「インド石」
ダイヤモンドが発見されてからのインドは、かつて18世紀前半頃まではダイヤモンド産業が盛んでした。ダイヤモンドが昔「インド石」という別名で呼ばれていたのは、ダイヤモンドがインドでしか採れないと信じられてきたからです。
ダイヤモンドの歴史/ダイヤモンド・婚約指輪完全ガイド
紀元前:インドからギリシャへ運ばれていた
インドから古代ヨーロッパのギリシャへ、ダイヤモンドが海や陸から遠路はるばると渡ってきたのは、同じくまだ紀元前のことでした。ダイヤモンドの語源の「adamas(征服されがたいもの)」は、ちょうどこの頃に広まったといわれています。
ダイヤモンドの歴史/ダイヤモンド・婚約指輪完全ガイド
めちゃめちゃ硬いだけの石
ダイヤモンドの原石はあまりに硬いため研磨および加工をすることができず、美しい輝きを秘めていることを人々に知られることはほとんどありませんでした。
ダイヤモンドの起源や歴史をご紹介!超巨大カラットのダイヤモンドとは?/I-PRIMO
その原石を研磨するためにインド人は、木の円盤をゆっくり回転させ、ほんの少しずつ磨いていたといいます。
歴史から知る「ダイヤモンド」と「ベルギー」の関係/EXELCO DIAMOND
この方法で硬い石を磨くには気の遠くなるような時間がかかり、非常に効率が悪かったといえるでしょう。
歴史から知る「ダイヤモンド」と「ベルギー」の関係/EXELCO DIAMOND
そして、そうやって時間をかけても、不規則で歪んだ形にしか整えることができませんでした。
そのためルビーやサファイヤに比べてもダイヤモンドの宝石としての重要度は低く宝石としても注目を集めていませんでした。そのため当時の宝石研磨と言えばルビーやサファイヤなどの色石が中心で、ダイヤモンドはその硬さを活かして石に字を書いたり、鉄に傷を付け文字を書いたりする道具として使われていたのです。
ベルケム伝説のダイヤ研磨師/銀座の結婚指輪・婚約指輪BRIDGE
「ダイヤモンドを切るにはダイヤモンドだ!」
それから数百年の時を経てやっと15世紀半ばにベルギーでダイヤモンドを磨く製法が発見されました。
時代と共に変容するダイヤモンドビジネス/なんぼや
時は1447年、ブルゴーニュ公国(現在のベルギー・アントワープ)では、それまでとは明らかに違うレベルで「ダイヤモンドをダイヤモンドで磨く」革新的な研磨法が一人の研磨工「ルドウィック・ヴァン・ベルケム(Lodewyk van Berken)」の手で発見され話題となります。
フィリッペンス・ベルト氏とは /BROOCH
それはダイヤモンドでダイヤモンドを磨くという今日でも用いられている製法でした。
時代と共に変容するダイヤモンドビジネス/なんぼや
南米のダイヤモンド
その後に1725年頃からブラジルでダイヤモンドが発見されると、主要ダイヤモンド産出地はアジアから南米へと移り変わります。
ダイヤモンドの産出国① BLOG & TODAY’S COLUMN/LIZARE DIAMOND.2016
ブラジルのダイヤモンドは、(中略)ミナスジェライス州のRio Jequitinhonha(リオ·ジェキティニョニャ川)の土手沿いで、金鉱山労働者によって発見されました。 インドの有名なゴルコンダの鉱床がほとんど掘り尽くされており、南アフリカの鉱山が発見される前だったので、百年以上もの間、この国は、世界で最も重要なダイヤモンドの原産国でした。
ブラジルのミナスジェライス州でのダイヤモンド採鉱/GIA
僅か150年ほどで衰退したブラジルの鉱床では、726.6キャラットの「ヴァルガス・ダイヤモンド」と262キャラットの「南の星」が産出した。
ダイヤモンドの産地/アトリエトントン
Miners discovered the President Vargas #diamond – the largest found in Brazil – on Aug.13, 1938. pic.twitter.com/GcebiOJ61d
— GIA (@GIAnews) August 13, 2016
ついにダイヤモンドがとれなくなった
130年ほどは世界最大の産出地だったブラジルの鉱山ですが、早くも1860年代にはすっかり枯渇し、ヨーロッパのダイヤモンド産業は倒産や縮小に追い詰められます。
約2カラットのオールドヨーロピアンカット・ダイヤモンドのブローチ/アンティークジュエリー
南アフリカで始まった“ダイヤモンドラッシュ”
時は1866年。南アフリカ大陸において、ダイヤモンドの大鉱脈が発見されました。
この世のダイヤを支配したデビアス(DEBEERS)/GOLD PLAZA.2017
それまではインド、ブラジルにおいてダイヤが発掘されておりましたが1860年代に入るとすっかり枯渇。
倒産、縮小に追い詰められていたダイヤ産業にとって南アフリカ大陸での大発見は一筋の光でした。
In 1869, a shepherd found a 83.50 carat rough diamond. This discovery set off a #diamond rush in South Africa that birthed the modern diamond industry. Read more about South African diamonds here https://t.co/d4iemKMGRw Courtesy: De Beers Group. pic.twitter.com/aS2PNqTBJr
— GIA (@GIAnews) March 2, 2020
ダイヤモンド採掘産業が本格的となったのは、世界のダイヤモンド産出量の95%が南アフリカで産出された1870年代から1880年代。
世界有数の鉱山資源国 南アフリカのダイヤモンド /南アフリカ観光局
これらの鉱床は、それ以来莫大な量を産出しており、同様に重要なこととして、これらはダイヤモンドを地表に運んだ岩石物質中で発見されたダイヤモンドでは初めてのものでした。
ダイヤモンドは何処から/Four-Cs
南アフリカの鉱床を研究することにより、地質学者は他の潜在的産出地域を探す方法を学ぶことができるようになり、その後の発見の時代の幕開けとなりました。
ダイヤモンドは何処から/Four-Cs
今もなお世界最大級のダイヤモンドが発見されるなど、南アフリカは世界有数の鉱山資源国として知られています。
世界有数の鉱山資源国 南アフリカのダイヤモンド /南アフリカ観光局
ダイヤモンドラッシュの中心地「キンバリー」
キンバリーは、南アフリカ共和国中央部の北ケープ州の州都で、ブルームフォンテーンの西に位置しています。1867年に発見された、当時の世界で最大のダイヤモンド鉱山の採掘拠点として街が形成されました。
ダイヤモンドで栄える町!南アフリカ、キンバリーの観光地5選/skyticket 観光ガイド
(前略)ここキンバリーは世界中から一攫千金を夢見る男達が集まり、ゴールド・ラッシュならぬダイヤモンド・ラッシュが始まりました。
南アフリカ共和国にある 人力で掘った世界最大の穴!/国際投信投資顧問
この街は、イギリス植民総督のキンバリーにちなんで「キンバリー」と名づけられました。 それまで牧畜や農業が主な産業だったこの地の経済は、ダイヤモンドラッシュ以後、一変することとなり、鉱業が中心となったのです。 当時のキンバリーの街には、宝飾店、舶来品等の高級品店やバーなどが立ち並んでいたそうで、一攫千金を実現した鉱夫たちで賑わったようです。
ダイヤモンドラッシュに沸いた鉱業都市・キンバリー/ダイヤモンドの情報サイト.ブランドコンシェル
発掘量があまりにも多すぎて価格崩壊に危機に直面
しかし、ここで予想外の事態に。
この世のダイヤを支配したデビアス(DEBEERS)/GOLD PLAZA.2017
大鉱脈から発掘されるダイヤモンドの量はあまりに多く、その結果としてダイヤの価値が低くなってしまう恐れが出てきてしまいました。
De Beers
世界中のダイヤを支配した“デビアス”
創始者:セシル・ローズ
そこにイギリスの牧師の息子で、南アフリカで坑夫をしていた人物が現れます。後に南アフリカで政治家となるセシル・ローズです。
ダイヤモンドとユダヤ人、その切っても切れない関係/玉木 俊明.JBpress.2020
由来は「アフリカのナポレオン」
セシル・ローズは、”アフリカのナポレオン”と異名を取るほどの権力を有していました。彼の名を冠したローデシアという国もありました。現在、北ローデシアはザンビアに、南ローデシアはジンバブウェと独立し改名しています。ただ、現在も南アの著名大学の一つは、ローズ大学といい、彼の影響力の偉大さは推して知るべし、という感があります。
デモに参加し、そして引き下がる。失敗?いいえ!/吉村峰子.ハフポスト.2015
悪名高い“アパルトヘイト”
しかし、彼は帝国主義者で、かつ人種主義者でありました。
ダイヤモンド界トップ「デビアス社」創始者はアフリカのナポレオン/なんぼや
(前略)ダイヤモンド採掘に酷使されたのは黒人の人々であり、南アフリカの悪法であった「アパルトヘイト」によって投獄された人々は、ダイヤモンドの採掘に馬車馬のように使役されていたという現実があるのです。
ダイヤモンド界トップ「デビアス社」創始者はアフリカのナポレオン/なんぼや
デビアス鉱業会社の設立
デビアスの創始者の名前は「セシル・ジョン・ローズ」というイギリス人によって1880年に『デ・ビアス鉱業会社』を設立しました。
ダイヤモンド業界の『帝王』デビアス社/なんぼや
社名である「デビアス」の意味は、現地のダイヤモンド鉱床近くに農場を構えていたデビア兄弟に由来しています。
市場を支配する「デビアス社」のダイヤモンド|その品質と魅力を解説/Gold Mrs.2020
デビアス・コンソリデーテッド・マインズ
有名財閥ロスチャイルド家の融資を受けたデビアス鉱山会社は、植民地内のダイヤモンド鉱山会社を吸収合併し、1888年にDBCM(De Beers Consolidated Mines Limited)と改名します。
市場を支配する「デビアス社」のダイヤモンド|その品質と魅力を解説/Gold Mrs.2020
ロスチャイルド家のバックアップ
ロスチャイルド家は、第二次世界大戦期のイギリスを支えるほどの財力を持っていたそうで、その融資の対象となったデビアス社はイギリスの国益にも直結していたのではないでしょうか。
ダイヤモンド業界の『帝王』デビアス社/なんぼや
世界中のダイヤモンドを支配しようとした
キンバリーのほぼ全てのダイアモンド鉱山をその支配下に置き、全世界のダイアモンド生産額のなんと9割を独占したのです。
ダイヤモンドの基礎知識 歴史/ダイヤ買取専門店ネオスタ
ダイヤの産出をデビアス社に集約することで価格統制を図ろうとします。
ダイヤモンドとユダヤ人、その切っても切れない関係/玉木 俊明.JBpress.2020
デビアス社は、ダイヤモンドの供給源を独占することで、ダイヤモンドの価格を安定させようとしたのです。
ダイヤモンド産業をコントロールする巨大シンジケート/BAND CONCIER
それでもダイヤの発掘量は増え続けていった…。
その後にも大鉱脈がいくつか発見され、デビアス社のシェアは大幅に低下、ついには40%ほどにまでなってしまいました。
ダイヤモンド産業をコントロールする巨大シンジケート/BAND CONCIER
しかしセシル・ローズが亡くなった年でもある1902年、ダイヤモンドの歴史を変えるほどの鉱山が、トーマス・カリナンによって発見されます。プレミア鉱山(現カリナン鉱山)です。この鉱脈は巨大なもので、デビアス社の所有していた全鉱山の産出量と、ほぼ同じ量のダイヤモンドを産出しました。
ダイヤモンド産業をコントロールする巨大シンジケート/BAND CONCIER
Cecil Rhodes- Blood Diamonds 💎
— Bobby “We All We Got” Ashe (@Ppls_Champ) February 12, 2019
Prime Minister of England was responsible for impoverishment of South Africa. South Africa is home to 90% of the world 💎 supply.
Rhodes launched the DeBeers company “A Diamond is Forever”. There’s blood on those diamonds. pic.twitter.com/vC2SWJuIwh
ロスチャイルドも存在感をなくしていった
デビアス創業期こそ資金援助をしてきたロスチャイルドですが、その後ローズの失脚などによって表舞台から徐々に身を引くことになります。
ダイヤモンド採掘企業TOP5徹底解剖!イギリス「デビアス」/宝飾品に纏わるエトセトラ
アーネスト・オッペンハイマー
こうした状況にあったデビアス社を次の段階へ進めたのは、ドイツ系ユダヤ人のオッペンハイマーでした。
ダイヤモンド産業をコントロールする巨大シンジケート/BAND CONCIER
1902年、オッペンハイマーはダイヤの原産地として名高い南アフリカを訪れます。
「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれた男/なんぼや.2015
なぜ南アフリカを訪れたのか、ダイヤの原石を買い付けるためともダンケルスビューラーというアムステルダムのダイヤ市場を牛耳っていた人物の支持があったからとも言われています。南アフリカに渡ったオッペンハイマーは、1912年にはキンバリーの市長となります。
Reich gemacht Ernest Oppenheimer seine früh in London geweckte Liebe für Diamanten und das Geschick als Unternehmer. ZeitZeichen 🎧https://t.co/R4Le7TqFkZ
— WDR 5 (@wdr5) May 22, 2020
アングロ・アメリカ 設立
(前略)1917 年に現在でも世界最大の金生産者であるアングロ・アメリカン社 Anglo-American Corporation を設立(後略)
ダイアモンド産業とデビアス社/ダイアモンドに関する基本的な知識
ロスチャイルド家やJPモルガンのバックアップ
この時資金提供したのは、英国のロスチャイルドや米国のJPモルガンなどでした。
南アの資源企業アングロ・アメリカン・プラチナムについて=SBIゴールド/searchina.net.2018
密かに鉱山株を買い集めていた
第一次世界大戦中、ドイツの投資家に「ドイツが負けたら財産は没収される」という話を流し、投資家が所持している鉱山株を吐き出させたのです。それは、オッペンハイマー自身が株を買い集めるための策でした。
「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれた男/なんぼや
デビアスと資本関係を結ぶ
1926年 : この年、ダイヤモンドの供給会社として最大手であったデビアスの株式を過半数取得。資本関係を結ぶ。
【食物支配の閨閥 カナダという英国の属国を通し世界支配するヘッセン】/高度自給自足時代の夜明け 【先進国の未来像】
デビアスの会長に就任
そして1930年、デビアスの会長としての乗り込んできたのが、アングロアメリカン社の創業者アーネスト・オッペンハイマーです。
ダイヤモンドとユダヤ人、その切っても切れない関係/玉木 俊明.JBpress.2020
1926年に最大株主となったオッペンハイマーが経営権を握ってからは、デビアスを所有する鉱物メジャー「アングロ・アメリカン社(AAC)」の配下に置きオッペンハイマー一族支配体制を敷きました。
ダイヤモンド採掘企業TOP5徹底解剖!イギリス「デビアス」/宝飾品に纏わるエトセトラ
“J.P. Morgan and Ernest Oppenheimer had partnered in Anglo American mining and Oppenheimer was appointed to DeBeers’ board. “https://t.co/4JF0scolYJ pic.twitter.com/arJJwdB9xg
— Wes Finalle (@wfinalle57) June 12, 2020
デビアス社はオッペンハイマーの支配下
セシル・ローズ等によって設立されたデビアスは、アーネスト・オッペンハイマーにより1917年に設立された、「オッペンハイマー帝国」または”greater group”とも称されるAnglo American Corporation of South Africa (Anglo)に統合された。
Namdeb – アフリカ成長企業ファイル/ジェトロ・アジア経済研究所
その後オッペンハイマーによりデビアスは巨大なダイヤモンド・シンジケートやカルテルを構築するにいたった。
デビアスの親会社アングロ・アメリカンが敵対的買収を受けている。/Tokyo Diamond Exchange
世界中のダイヤモンドの支配
アーネスト・オッペンハイマーは、ダイヤモンド業界を支配する独創的で綿密に練られた機構を作り上げました。
ダイヤモンド産業とデビアス社/ダイヤモンドヘノサソイ
ロスチャイルドはオッペンハイマーを支援し続けた
オッペンハイマーは、ロスチャイルド財閥の支援を受けて、世界の貴金属、非鉄金属、ウランなど生産を支配するオッペンハイマー財閥を構築していました。 このオッペンハイマーが手がけたのが、ダイヤモンド生産者組合(DPA )、ダイヤモンド貿易会社(DTC)、中央販売機構(CSO)の創設です。
ダイヤモンド採掘企業TOP5徹底解剖!イギリス「デビアス」/宝飾品に纏わるエトセトラ
それは「世界中のダイヤモンドはデビアス社が一手に管理する」というものです。
ダイヤモンド産業とデビアス社/ダイヤモンドヘノサソイ
We have a portfolio of 4 companies in #Botswana – #DeBeers Holdings, #Debswana, #Diamond Trading Company Botswana & De Beers Global Sightholder Sales #DeBeers130 pic.twitter.com/keOS27HJyz
— De Beers Group (@debeersgroup) December 28, 2017
DPA
ダイヤモンド・プロデューサー・アソシエーションDiamond Producers Associatio(ダイヤモンド生産者組合 DPA)と呼ばれる生産者連合を作り、生産量の調整を徹底させました。
ダイヤモンド リング 買取しました!/名古屋の質屋「仲屋質店」女性スタッフによる親切対応.2017
The #IJO #jewlery show has been amazing today. Such a great turnout of fantastic retailers. #realisrare pic.twitter.com/I1ldUw38vC
— DPA (@DPAssociation) July 29, 2018
Great example of responsibility towards current and future generations as @SRaysofficial commits to becoming the 1st Indian carbon-neutral diamond company.#DiamondsDoGood #sustainability #carbonneutralhttps://t.co/yvYFkWA4xM pic.twitter.com/Qq096dPn2k
— DPA (@DPAssociation) February 19, 2020
DTC
ダイヤモンド・トレーディング社 Diamond Trading Co.(ダイヤモンド貿易社 DTC)を設立し、生産されたダイヤモンドを一括して買い上げ、分類作業を行いました。
ダイヤモンド リング 買取しました!/名古屋の質屋「仲屋質店」女性スタッフによる親切対応.2017
Diamond Trading Company #Botswana, a 50/50 joint venture with @BWGovernment, sorts & values rough #diamonds mined by #Debswana pic.twitter.com/pH3Eie6yQP
— De Beers Group (@debeersgroup) April 19, 2017
CSO
セントラル・セリング・オーガニゼーション Central Selling Organization(中央販売機構 CSO)を設立。ダイヤモンドの販売をしました。
ダイヤモンド リング 買取しました!/名古屋の質屋「仲屋質店」女性スタッフによる親切対応.2017
原石の販売は、「サイト」と呼ばれる販売会のような形式で行われているのですが、この「サイト」には、デビアス社が認定した「サイトホルダー」という資格を持つ業者のみが参加を許されています。「サイトホルダー」の認定は、誰もが受けられるものではなく、デビアス社が一方的に認定します。「サイトホルダー」の認定を受けている業者は、現在100社にも満たないようで、そのうち日本企業は1社のみです。
世界のダイヤモンド産業の頂点に立つデビアス社/ダイヤモンドの情報サイト
#DYK our Sightholder/Accredited Buyer network is our main rough #diamond distribution armhttps://t.co/r0kCukwG4K pic.twitter.com/smBPRuvD7e
— De Beers Group (@debeersgroup) March 24, 2017
It’s one of the world’s most exclusive clubs, known over the years as the Syndicate, the Central Selling Organization and the Diamond Trading Company. It’s power is now diminishing | via @tbiesheuvel #commodities https://t.co/gnawRBKcz5
— Javier Blas (@JavierBlas) July 29, 2019
ダイヤが生まれて販売されるまでの全てを手中に収めた
つまり、発掘→流通→販売といった流れをデビアス社が一括することになったんですね。
この世のダイヤを支配したデビアス(DEBEERS)/GOLD PLAZA.2017
特に三つ目は、生産量や実績によって価格を決めるといった所謂「相場」を作り上げ、一つの会社が世界のダイヤ相場を独占してしまいました。
デビアスはオッペンハイマーを通じてバイヤーとサプライヤーとの特別契約を締結し、デビアス以外とのダイヤモンド取引を禁止しました。デビアスは子会社を通じてダイヤモンドを購入し、市場に1年間で出回るダイヤモンドの量とその価格を決定することを望みました。これは何十年もの間続いてきました。
デビアス(De Beers Company)がダイヤモンド価格を管理しているという奇妙な話/BAUNAT.2016
「ダイヤモンドは永遠の輝き」
1900年頃、ダイヤの結婚指輪などほとんどないに等しかった。それを変えたのがデビアス社だ。ダイヤと結婚を結びつけたその宣伝は、史上最も成功したマーケティング活動と言われている。
永遠の輝きと言うけれど・・・ダイヤモンドに関するちょっと残念な8つの理由/ガラパイヤ.2017
ダイヤの婚約指輪を贈る文化を作り上げた
1970年代のはじめの日本では、婚約指輪を贈る人は結婚する人の50%にすぎず、ダイヤモンドの婚約指輪を贈る人は、そのうちのわずか7%でした。
実は広告メッセージだった「婚約指輪は給料の3カ月分」 デビアス社の巧みな戦略/BRANDING LAB.2018
しかしイギリス企業であるデビアス社は、日本人には「儀式好きで、贈り物好きで、本物好き」という特性があり、ダイヤモンドの婚約指輪にビジネスチャンスがあると考えました。
実は広告メッセージだった「婚約指輪は給料の3カ月分」 デビアス社の巧みな戦略/BRANDING LAB.2018
昭和36年にはそれまであったダイヤモンドの輸入制限がなくなり、高品質のダイヤモンドが輸入できるようになった。
いつから始まったの? 婚約指輪と結婚指輪の歴史と由来/ゼクシィ
また、昭和41年には戦時中に強制的に買い上げられたダイヤモンドが放出された上に、世界的なダイヤモンド供給会社であるデビアス社が日本に上陸。 デビアス社は日本で婚約指輪のキャンペーンを大々的に打ち、それにより一気に婚約指輪の慣習が広まった 。
当時は誰もが知っていた有名なキャッチコピー
そして、更に単に生産調整・出荷のコントロールを行うだけではなく、もっとも成功したキャッチコピーと言われる「ダイヤモンドは永遠の輝き」というコピーを作り、ダイヤモンドに対する憧れを強く女性に向けて発信します。
ダイヤモンドの価値と業界をコントロールするデビアス社の戦略/BAND CONCIER
この言葉は、デビアスグループの当時の広告代理店 N.W.Ayerの若きコピーライターによってもたらされたスローガンです。時を超えて輝き続けるダイヤモンドと、ダイヤモンドが象徴する「愛」の永遠性を結びつけました。消費者の感情に訴えかけたこのコピーは、以後34カ国後に訳され、70年経った今も色褪せることなく、ダイヤモンドの普遍の魅力を伝え続けています。
ダイヤモンド界の巨大企業「デビアス社」/リカラットONLINE.2017
石ころが宝石に化けた
デビアス社のカルテルと宣伝によって、「過剰なダイヤモンドはただの石ころ」ではなくなったのである。
カルテルや宣伝で価値を維持するダイヤモンド。こうしたことは他にもあるのではないか/浅川 修史.ちきゅう座.2011
BIG HOLE
人力で掘った世界一巨大な穴「ビッグホール」
「ビッグホール」はダイヤモンド最大手デビアス(De Beers)が所有していた鉱山の跡地で、市内最大の観光名所。
深さ200メートルの巨大穴に転落した犬、1週間ぶり無事救出 南ア/AFPBB News.2013
露天掘り
露天掘りのこの穴は、現在のように重機などは使われることはなく、すべて人海戦術によって掘られました。
ダイヤモンドラッシュに沸いた鉱業都市・キンバリー/ダイヤモンドの情報サイト.ブランドコンシェル
鉱床が地表面か地面の浅いところにある場合、坑道を掘らずに地面を上から下へ掘り起こしながら採鉱する方法です。
鉱物の採鉱方法(2)/国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
人力で掘った世界最大の穴
深さ200メートルの大穴は、人が手掘りした穴としては世界最大とされている。
深さ200メートルの巨大穴に転落した犬、1週間ぶり無事救出 南ア/AFPBB News.2013
ダイヤモンドラッシュは過ぎ去り、現在、掘り起こした穴の中にあるのは、溜まった雨水だけ。だが、実は地下にはまだダイヤモンドが眠っているという説も、現地ではまことしやかに囁かれているのだとか。
南アの大地に開いた世界最大級の穴は一攫千金を狙った人々の夢の跡/CREA