デビアスとは?世界的なダイヤモンド企業の歴史に迫る(前編)

ダイヤモンドの歴史は古く、その始まりは紀元前のインドにさかのぼります。インドでは、ダイヤモンドが精神的な力や不死性を象徴するとされ、宝飾品としてだけでなく、宗教的な儀式や葬儀にも用いられました。

また、ダイヤモンドは、研磨技術が未発達だった時代には、その硬度を活かして刃物や工具の素材としても利用されていました。その後、ダイヤモンドは世界各地に広まり、ローマ帝国や中世ヨーロッパでも貴重な宝石として扱われるようになりました。

この記事では、ダイヤモンドの歴史を古代から現代に至るまで詳しく解説し、その価値や魅力を探っていきます。

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コ・イ・ヌール―“光の山”という意味の巨大なダイヤモンド。現在は英国王室の王冠で輝くそれが世界的に著名であるのは、ただ美しいからではない。エリザベス女王が身につけるのを控えるほどの、凄絶な来歴を有しているからである。権力の象徴として、ムガル帝国の皇帝やシク王国のマハーラージャなど、数々の統治者の手を経てきたコ・イ・ヌール。しかし同時に、呪われているとしか思えないような多くの悲劇や凄惨な出来事を巻き起こしてきたのだ。豊富な資料を駆使して、ひとつのダイヤモンドを巡る歴史を鮮やかに描く、渾身のノンフィクション! (「BOOK」データベースより)

History of Diamonds

ダイヤモンドの歴史の始まり

diamonds

ダイヤモンドの歴史は古く、その始まりは紀元前のインドにさかのぼります。

最初のダイヤモンドの発見は、約2,500年前のインドでされました。当時、インドのゴルコンダ地域はダイヤモンドの主要な産地でした。

ダイヤモンドはその硬さと輝きから、神秘的で魔法の力があると信じられていました。また、インドではダイヤモンドは富や権力の象徴とされ、王族や高位の人々が身につけていました。

<紀元前4世紀>インドで最初のダイヤモンドが発見

紀元前4世紀のインドではすでに取引がされていたと推測されています。当時、ダイヤモンドは宝石としてはもちろん、切削工具や装飾品としても使用されていました。インドでは、ダイヤモンドは非常に貴重なものとされており、王侯貴族や宗教的な儀式で使用されることが一般的でした。

川の底にある不思議な石

南インドのドラヴィダ族は、川底に沈む不思議な石を見つけました。その硬さに驚きましたが、その威力を利用して岩を削り、石を削って数多くの文化遺産を残しました。

その石はダイヤモンドの原石であり、あまりに硬いため研磨および加工をすることができず、美しい輝きを秘めていることを人々に知られることはほとんどありませんでした。

実際はダイヤモンドではなかった!?諸説ある伝説

南インドのドラヴィダ族が硬い石を発見し、その硬さを利用して建築物を造ったという話は、一般的に知られています。しかしながら、それがダイヤモンドであったかどうかについては諸説あります。

一説によると、ドラヴィダ族が発見したのは、ダイヤモンドではなくカーネリアンと呼ばれる赤や茶色の石であり、それを使用して岩を削っていたとされています。

また、別の説によると、ドラヴィダ族は実際にはダイヤモンドを発見したが、その硬さを利用して建築物を造ることはできなかったとされています。

どちらにしても、ドラヴィダ族は硬い石を発見し、その利用方法を習得することで、卓越した建築物を造り上げました。その文化遺産は、今日でも南インドの代表的な観光名所の1つとなっています。

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インドは世界唯一ダイヤモンド産地だった!?

インドは古代からダイヤモンドの産地として有名で、インドから世界中にダイヤモンドが流通していました。インドでのダイヤモンドの歴史は非常に古く、紀元前4世紀には既にダイヤモンドが使用されていました。

その後、中世になると、インドは世界で最も重要なダイヤモンドの産地となり、多くの宝石がインドから世界に輸出されました。

現在でも、インドはダイヤモンドの大きな研磨加工センターとして知られています。特に、ムンバイ市にある「ジュエリー・ビザール」と呼ばれる地区は、世界最大の宝石加工センターの1つであり、多くのダイヤモンドが研磨されています。

また、ダイヤモンド以外にも、インドは多くの宝石を産出する国の1つとして知られており、特にエメラルドやサファイア、ルビーなどの高品質な宝石が産出されています。そのため、今でもインドは宝石大国として知られています。

Christie’s/YouTub
別名「インド石」

「インド石」という用語は、一般的には特定の鉱物を指すものではありませんが、歴史的にはダイヤモンドを指す場合があります。インドは、古代からダイヤモンドの産地として有名で、多くのダイヤモンドがインドから世界中に輸出されてきました。そのため、「インド石」という用語がダイヤモンドを指す場合があるのです。

ただし、現代では「インド石」という用語は、一般的には特定の鉱物を指すものではありません。むしろ、多くの種類の鉱物がインドから産出されており、それぞれが「インド石」として知られています。例えば、エメラルド、サファイア、ルビー、トパーズ、アメジスト、モスアゲート、ラピスラズリ、アズライトなどが、インドで産出される代表的な石の一部です。

<紀元前>インドから古代ギリシャへ

インドから古代ヨーロッパのギリシャへダイヤモンドが渡ったのは、紀元前のころであり、ダイヤモンドがギリシャに入ってくるようになったのは、紀元前4世紀ごろとされています。当時のダイヤモンドは、貴重品として非常に高く評価されていました。

ダイヤモンドの語源である「adamas(アダマス)」という言葉は、「征服されがたいもの」という意味があり、古代ギリシャの文献にもそのような記述が見られます。この言葉は、ダイヤモンドの硬度や輝きを表現するために用いられたものであり、ダイヤモンドの価値を象徴する言葉として広く知られるようになりました。

その頃のダイヤの扱いはとにかく硬いただの石!

人々にはあまり知られていませんでしたが、ダイヤモンドの原石には美しい輝きが秘められていたのです。しかし、その硬い石を研磨し加工することは可能ではありませんでした。そのため、インド人は木の円盤をゆっくり回転させ、そこに石を当ててほんの少しずつ磨いていました。

当時の硬い石の研磨には、非常に効率の悪い方法が用いられていました。それは、気の遠くなるほどの時間を要し、そうやって時間をかけても、不規則で歪んだ形にしか整えることができませんでした。そのため、ダイヤモンドはルビーやサファイヤに比べて、宝石としての重要度が低く、宝石としても注目を集めていませんでした。しかし、その硬さを活かして、石に字を書いたり、鉄に傷を付け文字を書いたりする道具として使われていました。

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ダイヤモンドを磨くことが出来るなら・・・その石はついに輝き出した

15世紀半ば、、ベルギーのブルゴーニュ公国でダイヤモンドの研磨技術が発明されました。この技術は、ダイヤモンドでダイヤモンドを磨くという方法で、今日でも使用されています。

この技術は、研磨剤としてダイヤモンドの粉末を使用するというものであり、非常に高度な技術が必要でした。しかし、この技術によって、ダイヤモンドの表面を非常に滑らかに磨き上げることができ、美しい輝きを放つダイヤモンドの宝石を作ることができるようになりました。

この技術の発明によって、ベルギーは世界的な宝石の中心地の一つとなり、ダイヤモンドの加工と貿易が盛んに行われるようになりました。そして、現代においても、この技術はダイヤモンドの研磨において重要な技術の一つとして使われています。

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<1700年代>ブラジルでダイヤモンドが発見!産出地がアジアから南米へ!

1725年頃、ブラジルでダイヤモンドが発見され、これによって、ダイヤモンドの産出地はアジアから南米へと移り変わりました。

ブラジルのダイヤモンドは、ミナスジェライス州のRio Jequitinhonha(リオ・ジェキティニョニャ川)の土手沿いで、金鉱山労働者によって発見されました。ブラジルは、19世紀までに世界最大のダイヤモンド生産国となり、その時期には世界中から熱狂的なダイヤモンド・ラッシュが起こりました。

ブラジルの鉱床で産出したダイヤモンドには、「ヴァルガス・ダイヤモンド」と「南の星」があり、それぞれ726.6キャラットと262キャラットの大きさがあります。

Loic Ronsse/YouTube
そんなブラジルもついにダイヤモンドが枯渇

しかし、20世紀半ばには、鉱山の生産量が減少し始め、現在ではダイヤモンドの産出量は極めて少なくなっています。これは、鉱山の枯渇や、採掘技術の進歩によって、より深い地下からの採掘が困難になったためです。

ただし、ブラジルには依然としてダイヤモンドの鉱床が残っており、商業的にも採掘されています。例えば、ミナスジェライス州やバイーア州などでは、小規模な鉱山が稼働しています。

また、ブラジルは、カルタ・ブランカ鉱山のように、高品質のダイヤモンドが産出されることで知られる一部の鉱山を所有しています。しかし、ブラジルがかつて世界最大のダイヤモンド生産国であった頃の勢いには及んでおらず、現在は世界の主要なダイヤモンド生産国の一つとして位置付けられています。

<1800年代>南アフリカで始まった“ダイヤモンドラッシュ”

1866年に南アフリカでダイヤモンドの大鉱脈が発見されたことで、ダイヤモンド産業は一変しました。それまで世界のダイヤモンド産出量の大半がインドやブラジルで産出されていましたが、これらの鉱山は次第に枯渇していったため、新たな鉱床を求める動きが生まれていました。

南アフリカの鉱山は、地表に運ばれた岩石物質中にダイヤモンドが発見された最初の鉱山でした。これにより、ダイヤモンドの採掘技術が大きく進歩し、大量のダイヤモンドが産出されるようになりました。

1870年代から1880年代にかけては、南アフリカで産出されたダイヤモンドが世界のダイヤモンド生産量の95%以上を占めるようになりました。

南アフリカは、地質学者が他の潜在的産出地域を探す方法を学ぶことができるようになったことから始まりました。そのことが、世界有数の鉱山資源国として知られている今日、世界最大級のダイヤモンドが発見されるなどの発見の時代の幕開けとなりました。

現在でも、南アフリカは世界最大のダイヤモンド生産国の一つであり、世界中の宝飾品メーカーが南アフリカのダイヤモンドを使用しています。

また、世界最大級のダイヤモンドの一つである「セレステンスター」が南アフリカで発見されたことでも知られています。

ダイヤモンドラッシュの中心地「キンバリー」

キンバリーは、世界最大のダイヤモンド鉱山が発見されたことで、ダイヤモンドの採掘や加工を中心とした産業都市として発展しました。

キンバリーの鉱山では、ダイヤモンドが手作業で採掘され、その後、手作業で選別・加工されていました。このため、当時は労働者の劣悪な労働環境や、労働者と鉱山所有者の対立が問題となりました。

一方で、鉱山産業によってキンバリーの経済は急速に発展し、多くの人々が一攫千金を目指してキンバリーに集まりました。そのため、宝飾品店や高級品店、バーなどが立ち並ぶ賑やかな町になりました。

現在でも、キンバリーは南アフリカ共和国でも有数の鉱山都市であり、多くの人々が鉱山関連の産業に従事しています。

Airlink/YouTube
Big Hole, Kimberley, Northern Cape, South Africa
Big Hole, Kimberley, Northern Cape, South Africa
発掘量があまりにも多すぎて価格崩壊に危機に直面

ここでまさかの事態が…。なんとキンバリーで発掘されたダイヤモンドの量があまりに多く、その結果としてダイヤの価値が崩壊する可能性が浮上。

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コ・イ・ヌール―“光の山”という意味の巨大なダイヤモンド。現在は英国王室の王冠で輝くそれが世界的に著名であるのは、ただ美しいからではない。エリザベス女王が身につけるのを控えるほどの、凄絶な来歴を有しているからである。権力の象徴として、ムガル帝国の皇帝やシク王国のマハーラージャなど、数々の統治者の手を経てきたコ・イ・ヌール。しかし同時に、呪われているとしか思えないような多くの悲劇や凄惨な出来事を巻き起こしてきたのだ。豊富な資料を駆使して、ひとつのダイヤモンドを巡る歴史を鮮やかに描く、渾身のノンフィクション! (「BOOK」データベースより)
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