【世界的なダイヤモンド企業】ユダヤ系企業“デビアス社”の輝かしい歴史(後編)

デビアス社の歴史において、セシル・ローズの時代からアーネスト・オッペンハイマーへの移行は、ダイヤモンド業界においても大きな転換点になりました。

【世界的なダイヤモンド企業】ユダヤ系企業“デビアス社”の輝かしい歴史(中編)
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ダイヤモンドは欲望の代名詞。人々はなぜこの炭素物質に魅了されるのか?古代ギリシャ、大航海時代から覇者デビアスの誕生・凋落、紛争ダイヤ、合成ダイヤまで、人々の欲望をめぐって成長してきたダイヤモンドビジネスの謀略にまみれた知られざる歴史を追う。(「BOOK」データベースより)

Ernest Oppenheimer

アーネスト・オッペンハイマー

Boogeymanatyourdoor/YouTube

1880年、アーネスト・オッペンハイマーは商人一家にユダヤ系ドイツ人として生まれました。

父親のエドゥアルト・オッペンハイマーはたばこ販売の商人であり、幼い頃からビジネスの現場に親しんでいました。

16歳でロンドンへ渡ったオッペンハイマーは、兄弟が所属していたダイヤモンド会社で働きたいと思い立ちました。

そして、17歳でそのダイヤモンド会社に入社し、ダイヤモンドの仕分けを学び、やがては社内で一番の技術者として認められ、その勤勉さは社長からも賞賛されるほどでした。

信頼を勝ち得たオッペンハイマーは、1902年に会社の代表代理人として南アフリカのキンバリー鉱山へ派遣され、ダイヤモンドの買い付けを担当しました。

キンバリーの市長としての手腕

1912年にはキンバリーの市長に就任、ダイヤモンドの会社をこなしながらも市長として、1915年まで職務を務め上げました。

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「アングロ・アメリカ社」を設立

デビアス社が苦戦していた第一次世界大戦末期の1917年、別の場所では金鉱山の開発をするためアーネスト・オッペンハイマーの手によってアングロ・アメリカン社が設立されました。

アングロ・アメリカン社はロスチャイルド家とは資本提携をしており、またアメリカの金融王J.P.モルガンも出資していました。

戦争中にオッペン・ハイマーは密かに鉱山株を買い集める

オッペンハイマーは第一次世界大戦中に、ドイツの投資家が持つ鉱山株を安く買い取るため、配線が濃厚なドイツが戦争に負けた場合に鉱山株が没収される可能性があるという噂を広めていたと、という逸話があります。

その結果、多くの投資家が鉱山株を手放し、オッペンハイマー率いるアングロ・アメリカン社は多数の鉱山株を集めることができ、これによって、アングロ・アメリカン社は鉱業界での強い地位を確立することになったといいます。

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アングロ・アメリカ社がデビアスの過半数株式を取得

1926年には、アングロ・アメリカン社がデビアス社の過半数の株式を取得。これによりデビアス社の役員になったオッペンハイマーは同社の支配権を獲得しました。

この結果、アングロ・アメリカン社はダイヤモンド業界において圧倒的な地位を築くことになりました。

オッペンハイマーがデビアスの会長に就任

その後、オッペンハイマーの一族は、アングロ・アメリカ社の創業者であるアーネスト・オッペンハイマーの孫(ネスト・オッペンハイマー)を中心に据え、デビアス社の経営を重視しました。

そして、オッペンハイマーの経営手腕により、デビアスは世界最大のダイヤモンド鉱山会社の一角として、長年にわたって業界をリードし続けることになりました。

オッペンハイマーは1929年12月にデビアス社の会長になり、以後20年以上にわたって同社を率いました。

オッペンハイマー財閥

さらにオッペンハイマーは、ロスチャイルド家の支援を受けて、世界の貴金属、非鉄金属、ウランなど生産を支配するオッペンハイマー財閥を構築していました。 

世界中のダイヤモンドの支配

デビアス社をアングロ・アメリカン社の傘下に置いたオッペンハイマーは、ダイヤモンド市場を支配する巨大なダイヤモンド・シンジケートを構築していきました。

このシンジケートには、デビアスだけでなく他のダイヤモンド鉱山会社も参加していました。

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ダイヤモンドカルテル

オッペンハイマー財閥は、ダイヤモンド生産者組合(DPA)、ダイヤモンド貿易会社(DTC)、中央販売機構(CSO)を次々と創設し、世界中のダイヤモンドの生産・販売を一手に管理するダイヤモンドカルテルを形成しました。

ダイヤモンド生産者組合(DPA)

ダイヤモンド生産者組合『ダイヤモンド・プロデューサー・アソシエーション・Diamond Producers Association、DPA』は、世界の主要なダイヤモンド鉱山会社が参加する、ダイヤモンドのマーケティングと広報を行う非営利団体です。

DPAは、アングロ・アメリカン、デビアス、リオ・ティントなど、主要なダイヤモンド生産企業の共同出資によって設立されました。

DPAは、ダイヤモンドの消費者に向けて、ダイヤモンドの魅力や価値を広報するキャンペーンを展開しています。また、DPAは、ダイヤモンド産業の持続可能性の取り組みを積極的に推進しています。

ダイヤモンド・トレーディング(DTC)

ダイヤモンド貿易会社『ダイヤモンド・トレーディング社 (Diamond Trading Company, DTC)』は、イギリスのロンドンに本拠を置くダイヤモンドの販売会社で、デビアス・コンソリデーテッド・マインズが設立したものです。

DTCは、デビアスが所有する鉱山で採掘されたダイヤモンドを中心に、他社から調達したダイヤモンドも含めたダイヤモンドを、厳格な品質管理基準に基づいて分類・評価し、販売することを主な業務としています。

DTCは、2000年代には「世界最大のダイヤモンド取引所」として知られており、現在も多くのジュエリーブランドやダイヤモンド業界関係者から信頼を集めています。

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セントラル・セリング・オーガニゼーション(CSO)

中央販売機構『セントラル・セリング・オーガニゼーション(Central Selling Organisation・CSO)』は、デビアス社が創設したダイヤモンドの販売機構で、世界中のダイヤモンドの市場を支配することを目的としています。

CSOは、ダイヤモンドを取引する販売者としての役割を担っており、デビアス社が所有する鉱山から生産されたダイヤモンドを集め、取りまとめ、販売先に販売することで市場の需要と供給を調整し、価格を維持することを目的としています。

その後、デビアス社の販売機構は、ダイヤモンド・トレーディング・カンパニー(DTC)として知られるようになりました。

原石の販売は、「サイト」と呼ばれる販売会の形式で行われています。しかし、この「サイト」に参加する業者は、デビアス社が認定した「サイトホルダー」と呼ばれる資格を持っている必要があります。

さらにこの資格は、デビアス社が一方的に認定するもので、受けることができるのは数限られた業者のみです。

現在、日本企業で「サイトホルダー」の認定を受けているのは1社のみで、総数も100社にも満たないようです。

「発掘」→「流通」→「販売」全てを手中に収める

デビアス社は発掘、流通、販売を一括して独占することで、世界のダイヤモンド市場に多大な影響を及ぼし、相場形成や価格調整を行うことが可能になりました。

オッペンハイマーはバイヤー(購入する側)とサプライヤー(提供する側)との特別契約を締結し、デビアス社以外とのダイヤモンド取引を禁止することで、市場に流通するダイヤモンドの量と価格をコントロールしたのです。

これは独占体制は何十年も続くとなりました。

暮らしを変えたマーケティング戦略「ダイヤモンドは永遠の輝き」

その後、私たちの暮らしの中にダイヤモンドが近いてきました。

デビアス社はマーケティング活動の一環としてダイヤモンドと結婚を結びつけたのです。それは、20世紀初頭にアメリカで始まり、徐々に世界中に広がっていくことになりました。

当時は誰もが知っていた有名なキャッチコピー

ある日、デビアスグループの広告代理店N.W.Ayerの若きコピーライターの手によって「ダイヤモンドは永遠に(A Diamond is Forever)」というキャッチコピーが生み出されました。

これは生産調整・出荷コントロールのみならず、女性への憧れを強く発信し、ダイヤモンドが持つ「愛」の永遠性を消費者の感情に訴えかけた会心のスローガンでした。

この言葉によって、ダイヤモンドは結婚の象徴とされるようになり、それまで一部の富裕層をターゲットにしていたダイヤモンド市場が、一般消費者の間にも広がりを見せました。

こうしてダイヤモンドの需要が急増し、デビアス社は巨額の利益を上げ続けることになりました。

その後、このキャッチコピーは70年以上もの間34カ国に翻訳され、今も色褪せることなくダイヤモンドの普遍的な魅力を伝え続けています。

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日本文化の中にダイヤの婚約指輪を贈る習慣を作る

1970年代初頭の日本では、婚約指輪を贈る人は結婚する人のわずか50%にすぎず、ダイヤの婚約指輪を贈る人はそのうちのわずか7%しかいませんでした。

そこでデビアス社は、「儀式好き・贈り物好き・本物好き」という日本人の持つ特殊な特性を見抜き、ダイヤの婚約指輪にビジネスチャンスを見いだしました。

1961年、日本は輸入制限がなくなり、高品質のダイヤモンドが輸入できる状態になりました。

そして1966年、戦時中に強制的に買い上げられたダイヤモンドが日本市場に放出されると同時に、デビアス社が上陸してきました。

デビアス社はすぐに日本でダイヤの婚約指輪の広告を大々的に行いました。その結果、ダイヤの婚約指輪を贈る慣習が一気に広まりました。

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読者の皆様へ

デビアス社のダイヤモンドカルテルとその効果的な宣伝戦略によって、ダイヤモンドは単なる石から宝石へ、さらには特別な価値と意味を持つ象徴へと変容しました。

ダイヤモンドの認識は彼らによって根底から変えられ、それは現代における私たちの暮らしの中で文化として今も息づいているのです。

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ダイヤモンドは欲望の代名詞。人々はなぜこの炭素物質に魅了されるのか?古代ギリシャ、大航海時代から覇者デビアスの誕生・凋落、紛争ダイヤ、合成ダイヤまで、人々の欲望をめぐって成長してきたダイヤモンドビジネスの謀略にまみれた知られざる歴史を追う。(「BOOK」データベースより)

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