デビアスとは?世界的なダイヤモンド企業の歴史に迫る(後編)

この記事では、世界的に有名なダイヤモンドブランド「デビアス(De Beers)」の歴史について説明します。デビアスは、19世紀後半からダイヤモンドの採掘、加工、販売を行っており、その経営手腕やマーケティング戦略により、ダイヤモンド市場を支配するまでに至りました。

また、デビアスは、ダイヤモンドの需要を高めるために、世界初のダイヤモンドの広告キャンペーンを展開し、有名なスローガン「ダイヤモンドは永遠に」を生み出しました。

この記事を通じて、デビアスがどのようにしてダイヤモンド市場を支配するに至ったか、そしてその影響力について理解することができるでしょう。

デビアスとは?世界的なダイヤモンド企業の歴史に迫る(前編)
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ダイヤモンドは欲望の代名詞。人々はなぜこの炭素物質に魅了されるのか?古代ギリシャ、大航海時代から覇者デビアスの誕生・凋落、紛争ダイヤ、合成ダイヤまで、人々の欲望をめぐって成長してきたダイヤモンドビジネスの謀略にまみれた知られざる歴史を追う。(「BOOK」データベースより)

De Beers

世界中のダイヤを支配した“デビアス”

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創始者:セシル・ローズ

キンバリーのダイヤモンド鉱山でのダイヤ価格崩壊問題に対処するため、セシル・ローズという人物が現れました。彼はイギリスの牧師の息子で後に南アフリカで政治家となった男です。

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由来は「アフリカのナポレオン」

セシル・ローズは、”アフリカのナポレオン”と異名を取るほどの権力を有していました。

彼の名を冠したローデシアを範囲とする国がありましたが、現在ではそれが北部のザンビア、南部のジンバブウェに分かれ、独立して改名されています。しかし、南アフリカには現在も彼の名を冠したローズ大学があり、その偉大な影響力を知るべしという気持ちがあります。

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実は人種差別主義者だった!?悪名高い“アパルトヘイト”

セシル・ローズは当時の植民地主義の枠組みの中で、白人優位の政策を推進し、黒人に対する差別的な政策を行っていました。特に、ダイヤモンド鉱山での労働者として、黒人たちは過酷な労働環境に置かれ、不当な待遇を受けていました。

また、彼は南アフリカの政治にも大きな影響力を持っており、アパルトヘイト政策の元となる法律を推進するなど、人権問題にも関わっています。

デビアスのルーツ!デビアス鉱業会社の設立

1880年にイギリス人のセシル・ローズは『デ・ビアス鉱業会社』を創設した。

デビアス鉱業会社は、当初は小さな鉱山会社でしたが、創業者のセシル・ローズの野心的なビジョンと経営手腕によって、急速に成長しました。

由来はデビアス兄弟

「デビアス」という社名の意味は、デビア兄弟が現地のダイヤモンド鉱床近くに農場を構えていたことに由来しています。

彼らが所有する「ボーア・ビーツフォンテーン」の近くには、大量のダイヤモンドが埋蔵されていたとされています。そのため、デビア兄弟は多額の富を蓄え、南アフリカのダイヤモンド産業に大きな影響を与えました。

ロスチャイルドの融資で事業拡大!「デビアス・コンソリデーテッド・マインズ

デビアス鉱山会社は、創業当初からロスチャイルド家などの金融機関からの融資を受けていました。その後も多くの金融機関から融資を受け、事業拡大を図りる。そして1888年に、植民地のダイヤモンド鉱山会社を吸収合併し、それをDBCM(De Beers Consolidated Mines Limited)と改名した。

デビアスはダイヤモンド供給源を独占!価格の安定を図る

デビアス社はダイヤモンド市場を支配するために、自社の鉱山以外の鉱山にも出資することで支配下に置きました。また、他の鉱山会社に対しては、ダイヤモンドの販売をデビアス社に一任するように圧力をかけました。

結局デビアス社がキンバリーのほぼ全てのダイヤモンド鉱山を支配下に置き、全世界のダイヤモンド生産量の約90%を独占したため、市場価格を安定させることができました。

それでもダイヤの発掘量は増え続けていった…。

セシル・ローズが亡くなったその後、20世紀初頭には、南アフリカ以外でもカナダ、オーストラリア、ロシアなどでダイヤモンドが発見され、デビアス社の独占的な地位は脅かされることとなりました。

特に、カナダの北部にあるイエローナイフ地域では、1930年代に世界最大のダイヤモンド鉱山が発見され、デビアス社のシェアはさらに低下していきました。

それと連動するようににロスチャイルドも存在感をなくしていった

ロスチャイルド家はデビアスの創業期に多大な資金援助を行い、デビアスが南アフリカのダイヤモンド市場を支配するまでに成長するのに貢献しました。

しかし、ローズの失脚や他の競合企業の台頭によって、ロスチャイルド家の影響力は徐々に低下し、デビアス社は独自の路線を進むようになっていきました。

デビアスをネクストレベルに引き上げた人物「アーネスト・オッペンハイマー」

オッペンハイマーというドイツ系ユダヤ人が、こうした状況にあったデビアス社を次の段階へ進めたのです。

オッペンハイマーが1902年に南アフリカを訪れたのは、ダイヤの原石を買い付けるため、そしてアムステルダムのダイヤ市場を牛耳っていた人物からの支持を受けたからです。その後、オッペンハイマーは1912年にはキンバリーの市長になりました。

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デビアスを乗っ取り新会社を設立!?「アングロ・アメリカ社」

アングロ・アメリカン社は、1917年にイギリスのアーネスト・オッペンハイマーがデビアス社の支配権を獲得し、その後アングロ・アメリカン社を設立しました。ロスチャイルド家とは資本提携をしており、またアメリカの金融王J.P.モルガンも出資していました。

アングロ・アメリカン社は、主に鉱業、金融、エネルギー、農業、不動産などの分野で事業を展開しています。現在でも世界的な企業グループの一つとして知られています。

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戦争中にオッペン・ハイマーは密かに鉱山株を買い集める

第一次世界大戦中に、アーネスト・オッペンハイマーはドイツの投資家に株式を安く買い取る機会を与えるために、ドイツが戦争に負けた場合には株式を没収する可能性があるという噂を広めました。

その結果、多くの投資家が株式を手放し、オッペンハイマーはアングロ・アメリカン社の多数の株式を集めることができました。これによって、アングロ・アメリカン社は鉱業界での強い地位を確立することができました。

アングロ・アメリカ社がデビアスの過半数株式を取得

1926年に、アングロ・アメリカン社はデビアス社の過半数株式を取得し、デビアス社の支配権を獲得しました。この取引によって、アングロ・アメリカン社はダイヤモンド業界において圧倒的な地位を築くことになりました。

そしてオッペンハイマーがデビアスの会長に就任!

オッペンハイマー一族は、アングロ・アメリカ社の創業者であるアーネスト・オッペンハイマーの孫であるネスト・オッペンハイマーを中心に、デビアスの経営に重きを置きました。

彼は1929年にデビアスの会長に就任し、以後20年以上にわたって同社を率いました。彼の経営手腕により、デビアスは世界最大のダイヤモンド鉱山会社の一角として、長年にわたって業界をリードし続けることになりました

世界中のダイヤモンドの支配

オッペンハイマーはデビアスをアングロ・アメリカン社の傘下に置き、ダイヤモンド市場を支配する巨大なダイヤモンド・シンジケートを構築することに成功しました。このシンジケートには、デビアスだけでなく他のダイヤモンド鉱山会社も参加していました。

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ダイヤモンドカルテル

オッペンハイマー財閥は、ダイヤモンド生産者組合(DPA)、ダイヤモンド貿易会社(DTC)、中央販売機構(CSO)を創設し、世界中のダイヤモンドの生産・販売を一手に管理するダイヤモンドカルテルを形成しました。

ダイヤモンド・プロデューサー・アソシエーション(DPA)

ダイヤモンド・プロデューサー・アソシエーション(Diamond Producers Association、DPA)は、世界の主要なダイヤモンド鉱山会社が参加する、ダイヤモンドのマーケティングと広報を行う非営利団体です。

DPAは、アングロ・アメリカン、デビアス、リオ・ティントなど、主要なダイヤモンド生産企業の共同出資によって設立されました。DPAは、ダイヤモンドの消費者に向けて、ダイヤモンドの魅力や価値を広報するキャンペーンを展開しています。また、DPAは、ダイヤモンド産業の持続可能性に取り組むためのイニシアチブを推進しています。

ダイヤモンド・トレーディング(DTC)
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ダイヤモンド・トレーディング社 (Diamond Trading Company, DTC) は、イギリスのロンドンに本拠を置くダイヤモンドの販売会社で、デビアス・コンソリデーテッド・マインズが設立したものです。

DTCは、デビアスが所有する鉱山で採掘されたダイヤモンドを中心に、他社から調達したダイヤモンドも含めたダイヤモンドを、厳格な品質管理基準に基づいて分類・評価し、販売することを主な業務としています。

DTCは、2000年代には「世界最大のダイヤモンド取引所」として知られており、現在も多くのジュエリーブランドやダイヤモンド業界関係者から信頼を集めています。

セントラル・セリング・オーガニゼーション(CSO)

セントラル・セリング・オーガニゼーション(CSO)は、デビアス社が創設したダイヤモンドの販売機構で、世界中のダイヤモンドの市場を支配することを目的としています。

CSOは、ダイヤモンドを取引する販売者としての役割を担っており、デビアス社が所有する鉱山から生産されたダイヤモンドを集め、取りまとめ、販売先に販売することで市場の需要と供給を調整し、価格を維持することを目的としています。

その後、デビアス社の販売機構は、ダイヤモンド・トレーディング・カンパニー(DTC)として知られるようになりました。

原石の販売は、「サイト」と呼ばれる販売会の形式で行われています。しかし、この「サイト」に参加する業者は、デビアス社が認定した「サイトホルダー」と呼ばれる資格を持っている必要があります。この資格は、デビアス社が一方的に認定し、受けることができるのは限られた業者のみです。

現在、日本企業で「サイトホルダー」の認定を受けているのは1社のみで、総数も100社にも満たないようです。

発掘→流通→販売を全て手中に収める

デビアスが発掘、流通、販売を一括して独占することで、世界のダイヤモンド市場に影響を及ぼし、相場形成や価格調整を行いました。

オッペンハイマーを通じてバイヤーとサプライヤーとの特別契約を締結し、デビアス以外とのダイヤモンド取引を禁止することで、市場に流通するダイヤモンドの量と価格をコントロールしました。これは何十年も続く独占体制となりました。

マーケティング戦略「ダイヤモンドは永遠の輝き」

デビアス社がダイヤモンドと結婚を結びつけたマーケティング活動は、20世紀初頭にアメリカで始まり、後に世界中に広がっていきました。

デビアス社は、「A Diamond is Forever(ダイヤモンドは永遠に)」というキャッチコピーを生み出し、ダイヤモンドが結婚の象徴であることを確立することに成功しました。このマーケティング戦略の成功により、ダイヤモンドの需要が急増し、デビアス社は巨額の利益を上げることになりました。

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ダイヤの婚約指輪を贈るカルチャーを創設

1970年代のはじめの日本では、婚約指輪の贈る人が結婚する人の50%にすぎず、ダイヤモンドの婚約指輪を贈る人はそのうちのわずか7%でした。

イギリス企業のデビアス社は、日本人の「儀式好きで、贈り物好きで、本物好き」の特性を見抜き、ダイヤモンドの婚約指輪にビジネスチャンスを見出しました。

1961年には、輸入制限がなくなり、高品質のダイヤモンドが輸入できるようになり、1966年には戦時中に強制的に買い上げられたダイヤモンドが放出され、デビアス社が日本に上陸しました。デビアス社は日本で婚約指輪のキャンペーンを大々的に行い、それにより婚約指輪の慣習が一気に広まりました。

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当時は誰もが知っていた有名なキャッチコピー

デビアスグループの広告代理店N.W.Ayerの若きコピーライターが作り出した「ダイヤモンドは永遠の輝き」というキャッチコピーは、生産調整・出荷コントロールのみならず、女性への憧れを強く発信し、ダイヤモンドが持つ「愛」の永遠性を消費者の感情に訴えかけたスローガンです。

そして、この言葉は、70年以上もの間、34カ国に翻訳され、色褪せることなく、ダイヤモンドの普遍的な魅力を伝え続けています。

石ころが宝石に化けた

デビアス社のカルテルと宣伝によって、ダイヤモンドが「ただの石ころ」ではなく、特別な価値を持つものとして認識されるようになったと言われています。それまで一部の富裕層を中心に存在していたダイヤモンド市場が、一般消費者にも広がりを見せました。

そして、ダイヤモンドが婚約指輪の代表的な素材として定着することになったのは、このようなデビアス社の販売戦略が大きく貢献していると言われています。

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ダイヤモンドは欲望の代名詞。人々はなぜこの炭素物質に魅了されるのか?古代ギリシャ、大航海時代から覇者デビアスの誕生・凋落、紛争ダイヤ、合成ダイヤまで、人々の欲望をめぐって成長してきたダイヤモンドビジネスの謀略にまみれた知られざる歴史を追う。(「BOOK」データベースより)

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